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『自分を褒めてやれるのは自分だけ』

私は、褒められて伸びる人間である。

叱られればシュンとするし、理不尽なことを言われれば「勝手なこと言いやがって」と憤るし、それが例え正当でも「( ゚д゚)あ?」と思って、ヘソを曲げてしまうのが私である。

それをよく理解している旦那と母は、出来るだけ私のヘソが5回転くらいしないように気を遣って色々と褒めそやしてくれるのだが、時には、何を言われても「どうせ嫌々褒めてるんだろ」とねじ曲がった思考になってしまうときがある。

こういうときは、何を言われてもダメだ。

どんなに歩み寄ってくれようとも、心が「ツーン」とそっぽを向いてしまっているから、響かないし、感じない。

そういうときは、とことんまでそっぽを向いて、時間が過ぎるのに任せるのもひとつの方法だけれども、私は、出来るだけ『自分で自分を褒める』ようにしている。

「今日はこんなこと出来たね、すごいね」

「こんな風に頑張ったね、えらいね」

「ほら、こんなに良いところがあるじゃない」

虚しい奴かもしれないけど、そうして自分で自分を褒めてやると、誰のどんな言葉よりも、心に響いてくれる日がある。

「そうか、私、意外とすごいのかな」

「そうだよ、頑張ったよ。頑張れるなんてえらいじゃん」

「なかなか見えないけど、そんなところもあったのか、自分には」

自分は自分に対して嘘を吐かない。

いや、たぶん嘘を吐けない。

嘘がまことになるように、嘘も吐き続ければいつか真実になるとしても、結局自分は『自分が嘘を吐いている』ことを知っている。

だから、『自分が自分に対して吐く嘘』は、真実になったとしても所詮『嘘』には違いなくて、その『嘘』を認識してしまう時点で、嘘は吐けないと思っている。

私が私を褒める言葉に嘘はない。

きっとどこかで、自分が思っていたことを、自分に向かって言い聞かせているだけなのだ。

そうやって、自分を褒めてなだめているうちに、いつからか気分が少しずつ上向きになってくる。

「そうだよね。コレだけ頑張ってるんだから、私はやっぱりえらいんだよね」と、根拠のない自信を取り戻していくのだ。

自分にだけは、誠実でありたい。

『自分が自分を褒める言葉』を、疑うような人間にはなりたくない。

自分が自分を疑ったら。
この世にはもう誰も、信じられる人はいなくなる。

家族でも恋人でも大切な人でも。
その人の心の中身が見えない以上、無条件で信用して信頼出来るのは自分だけだから。

だから私は、私にだけは嘘は吐かない。



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