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『我が家をうまく回すための3つの家訓』

家訓、といえばちょっとお堅いが、まあ簡単に言うと「これを違えたらクソ怒られるお約束」みたいなものである。

私の父は昔気質の人だったので、私が生まれた時にコレを制定し、それは母に受け継がれ、そして今は私と旦那が守っている。

我が家では昔からコレが絶対で、この“お約束“を守らなかったら、ぶん殴られても文句は言えない。
実際、何度か破ってしまって頭にテレビのリモコンがすっ飛んできたこともあった。

基本は放任と自由を標榜する家庭だったので、他のことでは滅多に怒られなかったのだが、今思えばこの家訓は「親として」絶対に譲れない、母と父の一線だったのだろうと思う。

家訓その一!負ける喧嘩はするな!

相手が強かろうが弱かろうが、負けて帰ってきてメソメソ泣いていると、母にけちょんけちょんに怒られる。
「勝つまで帰ってくるな!」とリアルに家を追い出される。

言葉の喧嘩に負けて、男子に突き飛ばされて泣き喚いてる小学生女子を慰めもせず家から追い出すとか「鬼か?」と思うが、そうなった時はもう覚悟を決めるしかない。
公園で遊んでいるかの男子に突撃して、言葉でも体当たりでも、とにかくボコボコにしないと家に入れてもらえないのである。

ちなみにこれだけ見ると母が鬼に見えるので補足すると、私を家から追い出したあと、実は母も後ろからついてきている。
私がいじめた相手に向かっていくのを見て、一対一で戦うなら勝つか負けるかするまでそのままだが、もし相手が周りを巻き込んで、複数対一になるようであれば母がすっ飛んでくる。

そしてこう言うのだ。
「複数でひとりをいじめるなんて、人間の風上にも置けない」と。
あくまで喧嘩は一対一、タイマンでやれ。
それが出来ないのは卑怯者だから私の不戦勝。
私を囲んでいた男子たちは母の剣幕に押されて、何も言えずに散っていく。
所詮は子供の喧嘩だから、私は次の日その男子から「お前のかーちゃん、すげえ人だな……」とドン引きされるわけなのだが。

ちなみにこれ、負けるはずがない喧嘩に勝っても褒めてもらえない。
むしろ弱いものイジメをするな!と怒られるので
“負けない喧嘩をする“わけにはいかないのだ。

タイマンで戦って、勝った時は褒めてくれる。
褒められれば嬉しいけど、結局喧嘩なんて痛いし辛いし、しんどいんだから平和主義に生きればいいものを。
それでも譲れないことがあれば、女だろうが男だろうが、未だに向かっていってしまう私は、やっぱり母の子なんだろうと思う。

家訓そのニ!食事はみんなで!

夕食は必ずみんなが揃ってから。
その日にあったことや思ったことなどを、夕食をとりながら話す。
これは今でも連綿と受け継がれていて、旦那や私が残業の時は、母は律儀に私たちを待っている。

寝るのが遅くなるから先に食べてていいよ、と言う時もあるが、それでも待ってくれている。
独りで食べても美味しくないそうだ。

たしかに誰もいない家で、自分の好きなものを食べている時、美味しいのだけど少し虚しい気持ちになる。
これ旦那も好きなのになーとか、これ美味しいからみんなで食べればよかったなあ、とか。
色々考えてしまってちょっと寂しい。

普段生活リズムがバラバラで、なかなか全員揃って顔を合わせる時間って、それこそ夕食くらいしかないから、ああだこうだ話しながらのんびり出来る時間というのは貴重だ。
時に真面目な話になったり、母の昔話が始まったり、誰かの愚痴が出てきたり。
そうして家族が揃う時間を、私はこれからも積み重ねていきたいと思う。

家訓その三!感謝の気持ちを忘れずに!

何かをしてもらったら、それがどんなに小さなことでも「ありがとう」。
誰かにご飯を作ってもらったら、みんな揃って「いただきます」。

些細なことかもしれないが、我が家はコレを蔑ろにすると鉄拳制裁が待っている。

与えるだけ、奉仕するだけでは必ずどこかで破綻がくるし、それがいつしか「当たり前」になって感謝を忘れるのが人間だ。
やってもらって当たり前、してもらって当たり前、その考え方を私はクソの極みだと思っているし、当たり前が“当たり前でなくなった“時に後悔するのを知っているから、誰に対しても感謝の気持ちを忘れたくない。

世の中には当たり前のことなんてない。
あなたが今着ているその服も、あなたが今食べているその食べ物も、あなたが今過ごしている快適な部屋も。
当たり前に与えられたものではなく、自分や他人が努力したから今あなたの目の前に在る。

大事なことを“大事“だと素直に受け入れられる人間でいたいから、私は今日も感謝をして生きる。

譲れないこと

我が家には3人の人間がいる。
母、私、そして旦那。
家族とはいえども、育ってきた環境も違う他人だから、今まで培ってきたものの中で、譲れない一線があるだろう。

それを家訓として表明することで、納得は出来なくても私たちはお互いを理解して、お互いを尊重して生きることが出来るのだと思ってる。

そしてもし誰かがぷんすこ怒った時は、結局この3つのどれかを侵害したから怒っているのだ。

私たち夫婦に子供が出来るかはわからないが、もしもいつか子供が出来たら、私もこの3つのことは大切に教えていこうと思う。

好きなことをしてもいい、好きなように生きてもいい。
自分の責任でやるのなら、人様に迷惑をかけなければなんだっていい。
それで辛い思いを痛い思いをするのは自分だから。
痛い目を見て少しずつ成長していけばいい。
だって子供だからね。
痛くてもキツくても間違えても、取り戻すだけの時間があるんだ。

でも出来ることなら、
負ける喧嘩をして惨めな気持ちになって欲しくないし、食事はみんなで一緒に楽しくとりたいし、人として感謝の気持ちを忘れてほしくない。

私は世間的にはダメ人間だから、子供に教えられることなんてコレくらいしかない。
だからずっと、この家訓を胸に刻んで、生きていこうと思う。
いつか、伝えるべき人に伝えるために。

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