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『パニック障害になった話(5)』〜ざまあみやがれ!〜

※この記事にはパニック障害についての記述や、発作の話が出てきます。フラッシュバックにお気をつけて、お読みください。
それと今回、すごい長いです。

前回の記事はこちら↓↓

転職先が決まった。
それだけでもう小躍りしたくなる位に、ただただ嬉しかった。実際の勤務は1ヶ月半も先の話だったが、決まったことがただ嬉しかった。
我慢して我慢して我慢を重ねて、辛くて苦しくて食べた物を吐き戻すことも、周りの全てが嫌で嫌でたまらなくて強烈な嫌悪感に苛まれることも、逃げたい逃げたいと勤務中ずっと震えと戦い続けることも、もうこれからはなくなるのだ!

ウキウキと弾む気持ちを抑えられない私を見て、スタッフ達が訝しげな顔をしていた。

奇しくも世間はお盆に突入するころ。
年間通して、最大の繁忙期がやってくる直前の話であった。

1.義理は果たす、つもりだった


スーパーの繁忙期といえば、盆暮正月、そして彼岸である。
その中でも、やはり盆と暮れは一二を争う繁忙期となるわけなのだが、その勢いといったら凄まじい。

やってもやっても終わりが見えないレジの列、補充してもすぐになくなる商品棚。飯を食う暇などあるわけがなく、トイレに行く隙間時間さえ確保出来ない。
それがスーパーの繁忙期である。

盆直前となっていたこの日。
私は5年間雇っていただいた最後の義理として、この盆中だけでも、仕事を果たすつもりでいた。
“頭のおかしくなった“既に戦力外のような人間ではあるが、腐ってもフルタイムの店舗責任者
いるのといないのとでは違かろう、と、盆が終わるまで、私は鞄の底に沈めた退職届を封印しておくつもりであった。


だが、転職先が決まった後。
何故か自分の心とは裏腹に、パニック障害の症状が悪化し始めたのである

理由は未だによくわからない。
少しずつ慣れ始めていた車にもまた恐怖を感じるようになり、店に着くと酷い不安感に襲われた。
今まではどちらかと言うと、仕事を終えた後の夜に疲れ切って泣いていたのに、朝、起きて仕事に行く支度をしている間中、メソメソと泣くようになった。
行きたくない、行きたくない
まるで無理矢理学校に行かされる子供のように。

駄々をこねて母や旦那を困らせていた。

2.カッコ良く、は辞められなかった


忘れもしない8月11日。繁忙期の直前だった。
その日私は朝番で、仕事に出勤するついでに母が私を職場に送ってくれていた。

その日も私はメソメソと車に乗っている間泣いていて、行きたくないとずっと繰り返していた。
店が近づき、それでも最後のプライドで涙を拭う。だけどどうしてもその日は涙を堪えられなくて、ギュッと噛んだ唇が切れそうなほど、歯を食いしばっていた。

「リト」
「……何」
前を見つめたまま、母がポツリと私の名前を呼んだ。

「もう辞めなさい」
「……」
「そこまでしてする仕事じゃないでしょう」
「でも」
「もういいじゃない。次の仕事も決まって、これから楽しい未来が待ってるのに。
そうやって毎日泣きながら仕事に行くの見てるの、お母さん辛いよ……」
一言も、辞めろとは言わなかった母が、初めて言った一言だった。
1度怒鳴られた時に、似たようなことを言われたが、こんな風に静かに、悲しそうな声で言われる方が、辛いものがあった。

チラリ、と、鞄の底にしまいっぱなしの、ちょっと折れ曲がった退職届に視線を落とす。

「わかった」
車のドアを開けて、私はこの職場に向かう時では最後になるであろう「いってきます」を小さな声で告げた。

店に入り、事務所に向かう。
そこにはお誂え向きに店長がいて、挨拶もしないで立ち尽くす私を、怪訝そうな顔で眺めていた。

「これ、受理して下さい」
「は?」
「次の仕事も決まりましたし、もうここに来ることはないので、一応最後に言っておきます」
「アンタ何言ってんの?」
お世話になりました
ばん!!と、最後の抵抗とばかりに、退職届を机に叩きつけた。
今までの恨みつらみを視線に込めて、思いっきり店長を睨みつけた。

「ちょっと待ちなさい!明日からお盆だって言うのに、何考えてんのアンタ!」
「もう辞めたので私には関係ないですね。そもそも皆さんも“頭のおかしい人間“と、クソ忙しい繁忙期に一緒に働きたくないでしょうし」
フン、と鼻で笑って、絶句する店長を置いて、私は店を後にした。周りのスタッフはポカンとした顔でやりとりを眺めていたが、“ああ、私が辞めたらこの人達、明日から地獄みたいな数日間を送ることになるんだろうなア“と思うと、胸がすく思いだった。

車に戻った私を、泣き笑いのような顔で母が迎えてくれた。きっと私も、同じような顔をしていたんだと思う。
その日は仕事を休んでくれた母と一緒に帰りに買い物をしてランチを食べて帰って、2人で色々と面白い話をたくさんした。久しぶりに心から笑った。
それから1本、これから私の力になってくれるとある人に、電話をかけることも忘れなかった

こうして、あんなに必死でしがみついていた会社を、私はアッサリと捨てた
カッコ良く、颯爽にとはいかなかったけれど、私の人生を縛り続けた呪いを断ち切った瞬間だった。

3.最後の戦い


翌日。私には急いでしなくてはならない事が2つあった。
健康保険の国保への切り替えと、各種書類の取得である。
勢いで辞めてしまったので、年金手帳も何もかも店が保管している。まずはそれを返してもらうこと、転職に必要な書類を集めること。
もうあんな店と関わりたくはなかったが、母の検査が近づいていたこともあり、少なくとも国保への切り替えだけは、早急に行わなければならなかった。

朝から10分毎に鳴り続けているスマホに視線を落とす。
お前はストーカーか?“というレベルで、社長からの鬼電が止まなかった。あれだけ馬鹿にしていた人間がひとりいなくなったところで、大した痛手はないだろう、と私は思ったが、どうやらそういうわけでもなかったらしい。
仕方ない、と渋々私はスマホを手に取る。
どうせ書類関係の事がある、会社の事務方を取り仕切るのは社長の奥さんだし、だったら社長に言っても同じだろう。会社を辞めたことで変に度胸のついていた私は、鳴り続ける電話に出てやることにした。
「お前!!!何考えてるんだ!!!」
私が出たとみるや、社長は泡食った勢いで怒鳴り飛ばしてきた。うるさいなぁ、とため息を吐き、とりあえず自分の言いたいことだけ言えばいいか、と思い直す。

「私は退職した人間ですので、お前などと言われる筋合いはありません。健康保険証は郵送でお返ししますので、早急に退職証明書と健康保険資格喪失届をいただきたいのですが」
私は退職を認めていない、とっとと出てきて仕事しろ!!
「認める認めざるに関わらず、退職を届け出れば2週間後には必ず辞められるという法律があります。その2週間が問題なのであれば、今まで取らせてもらえなかった有給、全て消化していただいても構いませんが」
「ふ、ふ、ふざけるな!!」
前日。私の退職を知った旦那が、もし社長から難癖をつけられても言い返せるように、と。理論武装する為の制度や知識を植え付けてくれていた。

「どうしても認めてもらえないなら、労基に訴えて即日退職になるように持っていきます
「な……」
「前も言った通り、この病気の原因はストレスです。異動と長時間労働が起因したのは明白です。
診断書取って労基に提出します」
「お前のような頭のおかしい人間に、そんなことが出来るはずがない!!」
確かに私は頭がおかしいのだろう。
今となっては自分1人の面倒も見られないような人間だが、お前達を地獄に落とす為なら、地の底を這いずってでも訴えてもいいんだぞ、と。言外に滲ませたそれをわかっているのかいないのか、社長は更に声を荒げた。

「とにかく私は退職を認めない!そこまで言うなら、お前が今月働いた分の給料はなしだ!!もちろん退職を認めないのだから退職証明書も出さない。そうしたらお前は次の職場にも行けないなぁ!かわいそうに。
どうせ大した会社ではないんだろう?名前も知られていないちっぽけな会社に逃げようとしたんだろうが、そんなとこに行くなら私の会社にいた方がいいとは思わないのか?」
「残念ながら全く思いません。これ以上は平行線のようなので電話切りますね」
まだ社長はギャアギャアと何事かを電話口で叫んでいたが、あまりの言い草に耐えられなくなった私は早々に電話を切った。
性格がねじ曲がっていると思っていたが、これほどとは……。
退職証明書がなければ、国保への切り替えは出来ない。退職日の証明が必要だからである
そして、ある程度当てにしていた今月分の給料も、今の社長の発言で入ってこない事が確定した。明らかに違法なのだが、あのワンマン社長には、違法であるか否かの判断も、もう私に対する怒りでつかなくなっているのだろう。
嫌ではあるが、これは病院に行って、本気で診断書を取ってくるしかないのか、と。私が頭を抱えていたその時。再び、私のスマホが着信を知らせた。

4.因果応報

「はい、もしもし」
「ああ、リトさん。こんにちは、〇〇(統括本部長)ですが」
連絡をくれたのは統括本部長だった。
私は前日、統括本部長に“今日退職届を提出したこと“、“転職先は漏らさないように気をつけるが、もしも迷惑がかかったら申し訳ない“と連絡を入れていた。
何故なら私の転職が決まったあの日。電話口の上司から「今の職場のことで何か有れば、いつでも統括本部長に相談するように」と指示を受けていたからだ。

「どうですか、その後社長さんから連絡はありましたか?」
「はぁ、先程連絡がありまして……」
私は社長とのやりとりを本部長に伝えた。
ふむふむ、と苦笑混じりに相槌を打ってくれていた本部長だったが、退職証明書を出さないつもりのようだ、と私が報告した時点でため息を吐いた。

「リトさん、これから時間ありますか?」
「あ、ハイ、大丈夫です」
「ではこれから、会社まで来ていただけますか」
そこで続きを、と。本部長に言われて、私は急いで会社に向かう。徒歩数分の場所なので、発作も起こらず、楽にたどり着く事ができた。
面接時に顔を出したばかりの会社では、今日もみんな楽しそうに働いていた。それを横目に、羨ましいような妬ましいような、不思議な気持ちになりながら案内された広い休憩室へと通される。

そこでは苦笑を浮かべた本部長が、私を待ってくれていた。

「急にお呼びだてしてすみません」
「いえこちらこそ、お時間いただいて申し訳ありません」
「制服の準備が出来てから、書いていただこうと思っていたんですが、まずはこれを」
す、と差し出されたのは、私の雇用契約書だった。
「よく読んで、納得出来たらサインして下さい」
受け取った私は、サッと目を通して問題がないことを確認すると、頷いてサインをした。
希望した職務内容ではないが、時給も、勤務時間も勤務先も変わらない。ならば私に不満はなかった。
「でもこれ、入社日が今日になっていますが
まだ退職出来ていないのに。
私が首を傾げると、本部長はニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ええ、ですから、なんとしても今日退職させてもらいましょう

本部長は自分のスマホを手に取ると、胸ポケットからメモを取り出して、電話をかけ始めた。
「ああ、もしもし。私、〇〇(企業名)の〇〇と申しますが。社長の〇〇様(前職の社長の名前)はいらっしゃいますでしょうか?」
えっ!と声が出た。手元のメモに慌てて視線を落とすと、それは社長がいるであろう本店の電話番号だった。

「もしもし?〇〇様でいらっしゃいますか?」
程なくして、社長が電話口に出たのだろう。
本部長は淀みなく自分の身分を名乗ると、早速ですが、と私の件について切り出した。
「彼女の退職証明書はどうなっておりますか?
こちらとしても早く契約を交わしたいので、早急にご用意いただけないと困るのですが……。
え?出来ない?それはおかしいですね、彼女は既に退職届を提出したと聞いておりますが」
ワアワアと、喚いている社長の声がこちらまで聞こえる。何故か私が恥ずかしいやら、いたたまれないやら、複雑な気持ちになりながら、やりとりを見守るしかない。
「仕方ないですね、そこまで退職を認めないと仰るのであれば、後日ウチの法務部からご連絡を差し上げましょうか?
しん。と電話の向こうが静まり返った気がした。
ウチの本社は東京ですので、法務の人間を呼ぶのであれば即日とは行きませんが。聞けば、勤務した日の給料を出さないと言ったり、有給消化をさせなかったり、随分な扱いをしているそうじゃないですか。ウチの社員に不当な扱いをするようであれば、別に出るところに出たって構わないんですよ、ウチはね
なんてことないようにサラサラと社長を脅し始める本部長を見て、失礼ながらまるで悪代官だと思った。ものすごく頼りになる悪代官だが。

社長は知るよしもないだろうし、実は私も後々知ったのだが、私が転職したこの会社。日本でも有数のめちゃくちゃデカイ企業なのである

「彼女はどうも体の弱いお母様を抱えている事情もあって、すぐにでも保険証が欲しいようですし、そちらが退職証明書を出さないのであれば、これから私がついて役所のほうに相談に行こうと思ってるんですよ。我が社は全国に支社がありますので、役所に知り合いも多いですしねぇ。
これは彼女次第ですが、労基ならウチの法務に詳しい者がおりますし。
え?出す?そうですか、それはよかった!
あくまで穏やかに脅し続ける本部長に、あっさりと社長は白旗をあげたらしく、あれよあれよとの間に私の退職はそのまま受理され、明日には速達で各種書類が自宅まで届くようになっていた。

「あ、ありがとうございました」
「いえいえ。ああいう手合いはね、嘘でも“こっちが上なんだぞ“って見せてやれば何も言わなくなるんですよ。犬と一緒だね」
これは失礼だったかな、と笑う本部長を見て、私はこの会社に入社出来て本当に良かったと思った。
ちなみにこれは余談ではあるが、後日何故か本店に労働基準監督署と保健所と税務署が一気に調査に訪れたそうで、社長は大パニックに陥ったとか陥らなかったとか
因果応報、とはよく言ったものである。
ただ、性格が悪いかもしれないが、最後に一言だけ今の私から言わせて欲しい。

ざまあみやがれ!

当時の話がだいぶ長くなってしまったので、次回こそはもう少し未来の話をしようと思う。


もしもサポートをいただけたら。 旦那(´・ω・`)のおかず🍖が1品増えるか、母(。・ω・。)のおやつ🍫がひとつ増えるか、嫁( ゚д゚)のプリン🍮が冷蔵庫に1個増えます。たぶん。