セイシェルで芽生えた解放感

1990年代、世は湾岸戦争などのニュースに揺れていた。そんな時、十代だった私の許にと或るモデルの新しい仕事が入ってきた。でもこの仕事は今までとは違う異質のものでスポンサー自体が素性を明らかにされないということと、著名なフォトグラファーが起用されることで現場に着くまで詳細は明らかにされなかったこと、おまけにその仕事がヌードに出来るだけなれる方を希望ということがであまり公には募集はされていなかった。一応、その撮影場所がセイシェルという名の国で、当時私は見知らぬ国の名前で、図鑑か何かで本屋で調べたくらいでした。当時はインターネットなんてなかったというか世に知られてなかった時代でした。セイシェルの事を知り、もしモデルとして選ばれたらセイシェルに行けるという浅はかな理由でオーディションを受けました。いざ受けてみるとまるで心理学の問題を解いてるような質問を問われ当惑したのは憶えています。そして着替えて水着のような、というよりも薄いパジャマのような服を着せられ、そして上半身と脚線美を見せてほしいと言われ、君は暑いところは好きか?日焼けするのは抵抗あるかとか?今好きな人がいるかとか日常よく話すようなことを聞かれ、また当惑しました。でもこれって今の時代だと完全にセクハラですね。ともあれ、一時間ちょいくらいでオーディションは終了。当時は私一人でした。それから数日以内に連絡があり、また会場に来てくれと言われ、行きました。そこで白人の30代くらいの男性がいて、英語で質問を受けて、セイシェルはインド洋にある島国であり、そこに行くことになったら外国に行ける準備がすぐできるように対応できますかって聞かれ、まさか本当に行けるとは?とは思いながらイエスと答え、書類を書きました。十代だったので未成年だと親のサインが必要で、そこは資格を取る為に予備校みたいなところに勉強してみたいから、その入学試験を受けるために必要だと言って、適当に云ってサインをもらって提出した。本当はもっとハードルが当時あったがここは割愛させていただきます。そして一週間後にセイシェル行きが決定した。

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