多くの他者に囲まれて、自分の居場所をつくるには
列車に飛び込んで死ねば、死ぬ時まで人に迷惑をかけるなと言われる。
安楽死を求めれば、家族の気持ちを考えろと言われる。
こうしてみると人間はつくづく他者との関係性の中で生きる生物だと実感させられる。
少なからず他者には配慮すべきという志向がある。
それは人間が集団で生活する中で必要不可欠なものだろう。
たとえ、相手が自死を考える人や自死を遂げた人であったとしても他者への配慮を求める声は聞こえてくる。
人に他者への配慮を”求める”ならばそれは利己的なものである。
他者に配慮すべきという思想の下、人の行動を制限したり禁止したりすることはそれによって利する集団があるということだ。
その集団に所属できる人であれば少しは楽に生きられるだろう。
しかし、その集団からあぶれてしまう人にとっては他者との関係性の構築に苦労することになるだろう。そして人生が苦行そのものになっていく。
今の時代の常識や当たり前は大きな集団がそれを了承しているから常識や当たり前として機能している。
しかし、当然ながらそれを了承していない、了承できない人も存在する。
何のための常識か、何を意味する当たり前か、少しでも疑ってみるとまた違う角度から世界を見ることができるはずだ。
他者との関係性の中に生きる私たちにとって、その関係性を平面的ではなく立体的に考察することは自分の居場所を確保するためにも必要なことだ。
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