多田たいだ

無職の男性。 日々感じたことをだらだらと書きます。

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生きる意味を探すな

絶対的な生きる意味などない 生きる意味なんて探したところで絶対的なものが見つかるはずもありません。 そもそも意味とは言葉や行動などの記号について後付けで説明する概念です。意識の上で生きる意味を見出すとき、所詮は生きるという行為について後付けで意味を造り出しているに過ぎません。後付けだから自身を取り巻く環境次第でその意味は変化します。 例えば、 それまでパートナーを支えることを生きる意味にしていた人が、子供が生まれたら生きる意味が子供を守ることに変化する。 プロ野球選手に

    • それで本当に「死にたい」のですか?

      人は生きたいから精神科や心療内科に通います。 誰かに希死念慮を打ち明けます。 そういう人は死を求めながらも結局は生きたがっているのです。 本人がそれを認識できるかどうかは別にして。 「死にたい」と思いながら病院に通う。 何らかの形で表現し誰かに伝えようとする。 こうした希死念慮を抱えながら他者と関わろうとすること。 それは生への衝動に突き動かされているということです。 心底絶望し自殺したい。 そう思っている人は誰にも頼らず自殺します。 そこに「生きたい」という気持ちはあ

      • 衝動的な「死にたい」でいっぱいになった話

        「死にたい」で埋め尽くされる自殺したいとか死にたいとか自分で言葉にできるならまだ大丈夫でしょう。 しかし、言葉にするよりも自殺に向けて行動したいと思う、衝動的で圧迫感のある感覚が自分の中にあるとその時自殺に手が届きそうな感じがします。 心の中が「自殺」で埋め尽くされて圧迫される感覚を久々に味わいました。 何というか本当に心がいっぱいいっぱいになって息苦しいような感覚になるんです。 そうなったらもう時間が過ぎて気分が和らぐのを待つしかありません。 何か他のことに熱中すること

        • ただ生きるのがこんなに苦しいんだと痛感する。 環境はかなり恵まれているはずなのに何でこんなに苦しいのか。 恵まれていたから苦しいのか。 自分の無能さを日々実感している。 この社会を生き抜く自信がない。 生きていける気がしない。

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        生きる意味を探すな

        • それで本当に「死にたい」のですか?

        • 衝動的な「死にたい」でいっぱいになった話

        • ただ生きるのがこんなに苦しいんだと痛感する。 環境はかなり恵まれているはずなのに何でこんなに苦しいのか。 恵まれていたから苦しいのか。 自分の無能さを日々実感している。 この社会を生き抜く自信がない。 生きていける気がしない。

          無理して生きなくてもいいし死んだっていい

          「生きていればいいことがある」という言葉は気休めに過ぎません。 いいことがあるかもしれませんがないかもしれません。 聞き心地の良い言葉を信じて生きようとした結果、次の日には不幸な出来事に見舞われ、その次の日には事故に遭い死んでしまうかもしれません。 そうなったとしても誰も責任など取ってはくれません。 結局は自分が満足できるように自分で選択するしかないのです。 どんな言葉に触れようと生きていたっていいし死んだっていいのです。 無理して生きなくてもいいし無理して死なな

          無理して生きなくてもいいし死んだっていい

          多くの他者に囲まれて、自分の居場所をつくるには

          列車に飛び込んで死ねば、死ぬ時まで人に迷惑をかけるなと言われる。 安楽死を求めれば、家族の気持ちを考えろと言われる。 こうしてみると人間はつくづく他者との関係性の中で生きる生物だと実感させられる。 少なからず他者には配慮すべきという志向がある。 それは人間が集団で生活する中で必要不可欠なものだろう。 たとえ、相手が自死を考える人や自死を遂げた人であったとしても他者への配慮を求める声は聞こえてくる。 人に他者への配慮を”求める”ならばそれは利己的なものである。 他者

          多くの他者に囲まれて、自分の居場所をつくるには

          嫌な記憶が多いのは生き抜く可能性を高めるための生物としての本能によるところが大きい。それを理屈ではわかっていても嫌な記憶のせいで苦しいこともある。苦しいものは苦しい。いやその苦しさこそ生き抜くための...と続くのかもしれないが、それなら人生はただただ苦行じゃないかと思ってしまう。

          嫌な記憶が多いのは生き抜く可能性を高めるための生物としての本能によるところが大きい。それを理屈ではわかっていても嫌な記憶のせいで苦しいこともある。苦しいものは苦しい。いやその苦しさこそ生き抜くための...と続くのかもしれないが、それなら人生はただただ苦行じゃないかと思ってしまう。

          人と比較するのを辞めるなんて無理だ。 人間はそういう風にできてるんだから。 自分の意識でどうにかできる範囲なんてたかが知れている。 ひたすら比較してひたすら苦しむ。 そうするしかないしそうなる他ない。

          人と比較するのを辞めるなんて無理だ。 人間はそういう風にできてるんだから。 自分の意識でどうにかできる範囲なんてたかが知れている。 ひたすら比較してひたすら苦しむ。 そうするしかないしそうなる他ない。

          希死念慮の波が強い。 今なら勢いでいけそう。 でも無理なんだろうな。 できない理由をもう何個も考えてるし。 自分の意思とか本能とかわからない。 とにかくもう苦しみたくない。

          希死念慮の波が強い。 今なら勢いでいけそう。 でも無理なんだろうな。 できない理由をもう何個も考えてるし。 自分の意思とか本能とかわからない。 とにかくもう苦しみたくない。

          過去の失敗が頭の中でぐるぐるしてる。 こうなると自分の意思じゃ対処できない。 時間が経って気分が和らぐのを待つしかない。 それでも苦しいものは苦しい。

          過去の失敗が頭の中でぐるぐるしてる。 こうなると自分の意思じゃ対処できない。 時間が経って気分が和らぐのを待つしかない。 それでも苦しいものは苦しい。

          嫌なことをしてまで生きたいと思えない

          私は嫌なことをしてまで生きたいと思えません。 そういうと楽しいことだけやって生きられるほど人生は甘くないと言われるのは容易に想像ができます。 ですがその意見は生きることが前提の考え方でしょう。楽しいことだけやって生きられるほど人生は甘くない。だから、ある程度は嫌なことも受け入れて生きていこうとつながるわけです。 そんな意見を耳にすると「そうじゃない」と思ってしまいます。 楽しいことだけやって生きられるわけがないことは重々承知しています。 かといって嫌なことをしてまで生き

          嫌なことをしてまで生きたいと思えない

          不登校、中退もいいでしょう

          不登校や中退という選択は何も悪くありません。 ですが、それから数年を経たとき、その経歴のせいで自分はうまくいかないのだと思ってしまう可能性はあります。 私は高校を中退したことがありその後高卒認定を経て入学した大学も中退しました。その後は別の大学に入学、卒業し就職しました。そして現在無職です。 高校ではいじめに遭いストレス障害になりました。それが原因で不登校になり最終的に中退しました。その時から人が怖くなってしまって外に出て人と話すのが難しくなりました。高校を中退する際、親

          不登校、中退もいいでしょう

          求人サイトから応募してみたりした。 でもやっぱり自分には無理そうと思って死にたくなる。 なんだかんだで生きることに必死になっている。 本能的に素直に死なせてくれない感覚がある。

          求人サイトから応募してみたりした。 でもやっぱり自分には無理そうと思って死にたくなる。 なんだかんだで生きることに必死になっている。 本能的に素直に死なせてくれない感覚がある。

          30代にもなったのに親に感謝できてない。 私なんか産まなければよかったのにと思ってしまうことがある。 情けない。

          30代にもなったのに親に感謝できてない。 私なんか産まなければよかったのにと思ってしまうことがある。 情けない。

          生きるのも難しいが自分で死ぬのも簡単ではない。 日本の年間自殺者数は約2万人。 この中の1人になる自信が私にはあるだろうか。

          生きるのも難しいが自分で死ぬのも簡単ではない。 日本の年間自殺者数は約2万人。 この中の1人になる自信が私にはあるだろうか。

          私をいじめたお前へ

          昔私をいじめたお前がなぜ今そんなに幸せそうなんだ。 結婚して子供がいて仕事も順風満帆。何不自由なく生活している。 かたやお前にいじめられた私は高校生だった当時ストレス障害を発症して不登校になった。 不登校の時は希死念慮に襲われてしんどかった。 「死にたい」「殺してくれ」と喚き続け親も苦しませてしまった。 数日おきには学校に行ったがお前に陰口をこそこそ言われた。 保健室登校も数日だけしたが結局続かなかった。 そのうち学校も完全に行けなくなり中退した。 もう自分ではどうしようも

          私をいじめたお前へ