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衝動的な「死にたい」でいっぱいになった話

「死にたい」で埋め尽くされる

自殺したいとか死にたいとか自分で言葉にできるならまだ大丈夫でしょう。
しかし、言葉にするよりも自殺に向けて行動したいと思う、衝動的で圧迫感のある感覚が自分の中にあるとその時自殺に手が届きそうな感じがします。


心の中が「自殺」で埋め尽くされて圧迫される感覚を久々に味わいました。
何というか本当に心がいっぱいいっぱいになって息苦しいような感覚になるんです。


そうなったらもう時間が過ぎて気分が和らぐのを待つしかありません。
何か他のことに熱中することも難しいですから、その苦しさを感じながら時が過ぎるのを待つしかないのです。


「無意識」には太刀打ちできない

今回そんな気分を久々に味わって、いざというときには自殺について考えを巡らすことがいかに無力なのかが実感できました。
 


そのときは冷静に分析できていたとしても、心が疲れて追い込まれているときには、自分の意思ではどうにもできないほど自殺への衝動に突き動かされます。


それは生物としての本能に逆らえないような感覚でした。
体を動かせばお腹が空く、その構造を自分の考えでは変えることはできません。同じように、心が疲れれば自殺を求める、それを自分の考えではどうにもできないと実感しました。


きっともっと追い込まれれば自殺への衝動が強くなり、自殺に向けて行動することになるのでしょう。自殺を実現するには自分にストレスをかけ、無意識に自殺への衝動を高めることが重要かもしれません。


何で自殺したいんだっけ

でも、私は無意識からの衝動ではなく自分の意思で自殺をしたいなぁなんて思いました。それはきっと私が自殺を求める理由として、生きることによる苦痛の回避という側面が大きいからなのでしょう。


無意識からの自殺への衝動はストレスという負荷が前提ですから、そういった苦痛は避けたいんだと思います。同じ「死」という結末になるのにその過程についてこだわりがあるというのは何とも贅沢だなぁと自分のことながら思いました。


こうなると私が心から本当に自殺したいと思っているのか自分でも疑わしくなってしまいました。ですが、自殺や死についてとても魅力的に感じるのも事実です。その考察に面白さを感じる限りこうして文字にすることも続けていきたいなぁと改めて思いました。

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