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映画『福田村事件』

滅入るとわかってて観て、やっぱり滅入る

ネットで見かけた、この映画を観た方の感想の一節です。
全くもって、その通りの映画でした。
私は事件の舞台である現・野田市にかつて約10年住んでいたことがあり、見なくてはいけない気がして、劇場に足を運びました。
以下、ネタばれありです。



関東大震災の後、「朝鮮人が火をつけた、井戸に毒を投げ込んだ、日本人を襲った」等々、根拠のない流言飛語がとびかい、混乱に乗じて警察や自警団などに虐殺された朝鮮人、中国人、社会主義者などの数は6000人以上にのぼったといいます。
その中に、福田村事件として記録されている事件がありました。

香川から薬の行商に来ていた被差別部落民の一団15名が、千葉県東葛飾郡福田村(現・野田市)の利根川の渡しでの些細な諍いをきっかけに、朝鮮人と誤認されて在郷軍人会ら村民に襲われ、9名(出産間近だった妊婦や幼児を含む)が虐殺されたという凄惨な事件です。
被害者が日本人だったために事件化され、加害者は裁かれて有罪判決を受けたものの、のちに恩赦となっています。

この映画は、ドキュメンタリー畑の森監督が、敢えてドキュメンタリーではなく、事実に基づいた劇映画として取り組んだもので、しっかりと重層的に練られた作劇だと感じました。
大正デモクラシーだのモボ・モガだの、比較的明るいイメージがある震災前の日本社会のあちらこちらに、複雑な差別構造(差別されている弱者がより弱い者を差別するなど)や、忖度と上意下達によって支えられる国家主義、ムラ社会の息苦しさなど不穏な要素が沢山潜んでいたことが、映画の前半で丁寧に描かれます。
そして後半は関東大震災と、それに続く大混乱の数日間。集団ヒステリーが暴走する恐ろしさ、理性や知性の脆さをいやという程痛感させられます。
女性新聞記者の描き方などは類型的に過ぎるきらいがありましたが、総じて多方面に目の行き届いた脚本でした。
特に、クライマックスで永山瑛太演じる行商団の親方が怒鳴る一言
「朝鮮人やったら、殺してもええんか!」
は、スクリーンのこちら側「安全な場所」に座っている「したり顔」の観客にも浴びせられた強烈なパンチ。
印象的なラストシーンの後、重い「やりきれなさ」が残るのは、この題材を取り上げ現代の日本人に警鐘を鳴らす映画として、真っ当な仕上がりだった証だと思います。

出演者は、皆さん、作品の世界を体現する真摯な演技でしたが、東出昌大、ピエール瀧の両名が、正義を振りかざす「善意」の空恐ろしさを考えさせる意味で、とりわけ印象深かったです。

一般受けする映画ではなく娯楽性もありませんが、関東大震災から100年のこの秋に公開された意義は大きいと思います。この映画で福田村事件のことを初めて知ったという方も少なくないことでしょう。

人間にとって大切なのは
エンパシー(他者の靴を履いてみる、同情ではなく想像して共感する)
自分で考えて決断し行動する力
なのだということを改めて心に銘じました。


最後に、近所で撮った彼岸花などの写真を。

ムラサキシキブ
シロシキブ


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