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登る前から下山する。

 半笑いの人間が、山から駆け降りてきたら、
それを見た大半の人はギョッとするだろう。



 私は、ギョッとさせる側の人間である。



「登山に求める物はなんですか?」


 一人で山を登る私は、
こんな風に登山者をとっ捕まえて、
毎回同じ質問する。


「テレビでやってたから、
荻野目洋子も登ってたし。
この石割神社にきてみたくてね」

     −−−70代、紺色のニット帽の男性
(一緒に岩の周りを回ってお祈りの仕方を教えてくれた優しい方)


「歳いってるから、
憧れの山を見にきたわけよ。
甲斐駒岳。
いつ見ても美しいね。あれに登ることはできないけど、周りの下々の頂で、眺めるのよ」
   
    −−−60代恰幅の良く、恵比寿様のような笑顔が素敵な男性


「サークルなのよ!
おしゃべりしながら登んのよ!
別に山登りが好きな訳じゃないの」

        −−−50代 笑顔の弾ける色白女性(トレッキングポールをぶん回すので少々危険。2回ほど脛にぶつかる。)



「富士山は登ったんで、
近所の山も制覇してる感じかな。
スタンプラリーみたいに。
趣味が欲しかったのかな」

        −−−30代 OLショートカットがアクティブさを際立たせる女性。


「体力作りっすかね!」

        −−−20代 赤ちゃんをおんぶしながら登るほぼアスリート風男性


 人が山を登る理由は、様々だ。



 私も蕎麦が食べたいと思う時は、山頂で食事処のある高尾山へ登るし、運動がしたいと思えば岩場の多い大山。

 疲労感の強い時は、ハイキングの延長上にある大楠山。

 景色を堪能したい時は日向山と、気分を変えて登山先を変えるようにしている。とはいえ、家から1時間程度の低山を、無理なく過ごす、これが私の楽しみ方だ。


 まだ雪が溶けきらない、2月の寒い日のこと。私はいつものように、蕎麦を食べたいと思い、高尾山に向かった。

 稲荷山コースの登山口の前に立った時、禁煙していたことを急に思い出したかのように、ある想いがよぎった。


「下山したい。」


 目的は、蕎麦のはずだった。


 下山したい。


 頭の中で繰り返した。
 登る前に下山したい。
 もはや、もう訳がわからない。


 私は山頂よりも、
はるか先の下山に対しての意識を持ち、
再び同じ場所に立つことを想像していた。



 驚いた。



 下山していた。



 登山口で思いこがれていた下山。

 ほぼ無意識の中で登山し、蕎麦を食ったようだった。(ただ、私が推している狛犬には、しっかりご挨拶をしてきた記憶はある。)



 大腿四頭筋に力を入れる。小股で、足裏を地面と設置させ、前の人が歩いたであろう、道のりをを瞬時に探し、体重をかけ踏み込みながら、少々スピードを持たせて下山していく。腕は、振らない。足元をひたすら見つめていくのだ。

 無の時間。
 自分と、足元を見つめ、ただ、進んでいく。

 流れる汗を、愛おしく感じる。

 誰かのためじゃない。
 自分のために、今進んでいるのだ。

 私は、サービス業をしている。
 誰かの為、奉仕の心は、思った以上に心身を捧げているのだと、つくづく思う。ただ、それが嫌いなわけじゃない。

 ただ、時々思うのだ。
 自分って何だろうって。


 現実に帰る。
 家に帰ろう。


 下山は、私の背中を優しく推してくれるのだ。


 大丈夫だよ、またおいで。
そう言ってくれているようにしか思えない。




 すれ違いの登山者が、挨拶を終えた後、振り返る気配を感じた。

 私は駆け降りる。
半笑いだった。
時々、笑い声が出ていた気がする。


「あなたが登山に求める物は何ですか」


 もし私が、そう聞かれたら、
これからは即答するだろう。
思ったより厳しい、現実に帰るために。


「下山です」と。

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