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好きな曲は好き~潮/サカナクション~


はじめに


今日はサカナクションの『』という曲についてお話しします。

この曲は以前お話しした『』という曲と同じ『kikUUiki』というアルバムに収録されている曲です。
それまで流行のJ-POPを聴いていた私にとっては、中学生の頃に出会ったサカナクションやBase Ball Bear、ハルカトミユキなどのロックバンドはとても印象的で、激震のような衝撃を受けました。
サカナクションのなかで初めて聞いたアルバムはこの『kikUUiki』でした。
中学生の頃はその特異的な音と構成に驚いているだけで歌詞など考えていませんでした。
ただコロナ禍になって、サカナクションが配信をするようになってから、曲一つ一つの意味を考えるようになりました。

この曲はずんとくる電子音、明確で親しみやすいリズムのはずなのに不穏に感じるドラムのイントロが印象的です。


地に足着かずも必死のもがき

ララララ…
歩む足跡
足音が泳いでた
つまり誰かそろそろ突つき出すころ

足音が泳いでいた』は、そわそわしている様子を示していると思いました。
そわそわして落ち着かない様子を表現する言葉として「浮足立つ」がありますが、そんな様子を“泳ぐ”と表現している点がサカナクションらしさなのかなあと思いました。

また、“浮く”よりも“泳ぐ”の方が、必死さが垣間見えました。
どうにかこうにかして生きていこうとする必死さが、伝わってきました。

荒れる波際
浮かぶ木が泳いでた
つまり僕らはそれらと変わらないってこと

風景や情景を丁寧に表現して伝えたいのだと思いました。
こうやって丁寧に1番のほとんどを使って、地に足が着いていないように感じる不安な心情と、海に浮かぶ立木を重ねて考えているようです。

荒れる波際』というのがより一層、陸に上がることができない様子を際立たせていると思いました。
私は海が自慢の地元で育ったので、荒波というものが容易に想像できました。
あの海から上がるときに重力を一身に受けるような感覚です。
そうなると、重力を受けるまたは、その重さを全身で実感するとわかっていながら、陸に上がろうとするのは人間っぽさがあるのかもしれません。
ホモサピですね。

唾とは

飲めば水 出すと唾

ここはまるでことわざのように感じていて、中学生の頃は本当にある慣用句だと思っていました。
でもこれってサカナクションオリジナルの言葉ですよね。
ちょっと調べただけだと検索ヒットしませんでした。

唾というとあまりよくないことの表現として使われるような気がしています。
例えば、「唾を吐く」という言葉は「天に向かって唾を吐く」慣用句があるように、誰かに悪さをしようとして、かえって自分に災いを招くことです。

また、「吐いた唾は呑めぬ」ということわざもあります。
自分の発言に責任をもとう、という意味です。

これらのことから『飲めば水 出すと唾』という慣用句の意味を考えているのですが、自分の中で納得できる答えがまだ見つかっていません。
』というタイトルだからこそ、この水が海に無関係であるとは考えにくいのですが、海水は『』に繋がりにくいように思えます。
現時点で言える事は、この水や唾というのは“言葉”ではないかということです。

私は中学生から高校性にかけて、サカナクションとしてデビューして、印象的で唯一無二の音楽を創り、様々な企業とのタイアップを一消費者として見てきました。
しかし、有名度合いに関わらず、作詞作曲の時点における“言葉の責任感”というものはマインドとしては変わらないものではないか、と思いました。
一人の表現者としての責任、でしょうか。
そういうものではないかなと思いました。


恐怖の大群

人は潮
凄む凄む凄む

中学生の頃歌詞を見ずに聴いていたので、『凄む』を“スコール”だと思っていました。
漠然と水のイメージだけで聴いていたようです。

高校生の頃、ふときいたときに、“スコール”に聴こえなくなって、歌詞を検索しました。
凄む』とは、“人をおどすような言葉や態度をとる”ことだそうです(引用https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%87%84%E3%82%80/)。

人は潮』という歌詞と相まって、怖い人が大群で押し寄せている様子を思い浮かべました。
漠然と怖かったです。
高校生から大学生になり、ほんの少し「世界の理不尽さ」とか「それを作っているのは結局、人なんだよなあ」とか「でもそんな世界で生きていかないといけないんだなあ」とか考えている時期でしたので、この人の怖さというものがとても身に沁みました。

そういう風に感じる出来事があったのかなあ、とかもしそうやって感じることが今後あったら、私はくじけずに入れるだろうか、と考えました。


踊らされて生きてた

激しく胸打つ思想に 踊らされ生きてた

この歌詞が中高時代まで、両親が私の絶対神だったことを思いました。
テストや模試の一点の上下の先に自分の夢があるのではなく、両親の希望があったことです。
特にこの歌詞が過去形であるのも私の心情の変化にリンクしていました。

激しく胸打つ思想に 踊らされ生きてた
眼差しは日に日にブルー
そこにあるはずの青い青い
ララララ

私のとって、青は青春の色でした。
しかし、『踊らされて生きてた』から『日に日にブルー』に変わっているということは、心情が良くなかった状態から比較的良い状態に変化しているのではないかと思いました。
特に「踊っていた」ではなく『踊らされていた』と受動態になっていたことが、注目ポイントになりました。

「本当は目の前に青があったはずなのに、それに気づいていなかった。やっと気付き始めた」というようなことを表現していると解釈しました。

さいごに


この曲は曲の深みというか、音層の厚みというかそういうものを感じたいときに良く聴きます。
イヤホンで、じっくり聞くと気持ち良いです。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
♡励みになりますありがとうございます。

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