好きな曲は好き~같이 가요(Together)/SEVENTEEN~
はじめに
今日はSEVENTEENの『같이 가요(Together)』という曲についてお話しします。
韓国語の曲なので、翻訳してくださっている方の訳を参考にお話しします
私はこの曲のイントロが大大大好きで、勢いのあるイントロとどこまでも行けそうなメロディで一回聞いただけで好きになった曲です。
この電子音、良くないですか?!
適度に移動する音階としっかりと踏んでくるドラム。
相称ばっちりですよね。
最高です。
大人になることって
中学校や高校を卒業して、大学や就職をして、どんどん近況を共有している友人は少なくなるものだなあと最近実感しているため、この始まりの歌詞がとても印象的でした。
ここ数年はSNSでぼんやりと繋がっていることも多く、意識することも少ないですが、「会いたいな」と意識しなくても会うことができる人は大人になるにつれて少なくなりました。
しかし、現実や将来を見据えて選択しないといけない選択肢はどんどん増えていきます。
だからこそ誰かに相談したいこと、誰かと繋がっていたいことが増えて、物理的な距離が離れていくからこそ繋がっていたいことも増えていく。
こんなことを実感しています。
このnoteもそうです。
自分の好きなことについて聞いてくれる見てくれる人がいるのであれば、聞いて欲しいし、見てほしい。
うんうんという感じの歌詞です。
『寝ても覚めても勇気がみなぎっていた僕たちは』という歌詞が、私がよく言う“幼いからこその無敵感”を表していると思いました。
歳をとるってこういう事なんだと心身で実感しています。
でもきっと、所謂子供から大人になる最近の私が感じていることとそれよりも大人になるとでは異なっているのでしょう。
ここの歌詞が、苦しい私の最近に刺さりました。
私はしんどいときに、一人で苦しんでいても「羅針盤を取り出そう」という気持ちにはなりませんでした。
そのため、しんどい時にこの曲を聴くとその素直さと正しさが眩しく聴こえてしまい、苦しくなるほどでした。
だからこそ、自分ではない誰かに「羅針盤を取り出してみよう」と言ってもらえることがどんなに大事なのか、必要な事なのかを実感しました。
きっと、他人に与えられた羅針盤ではなく、自分の中から取り出した羅針盤であれば、どんな羅針盤であってもきっと自分の価値観や希望で創られた羅針盤なのでしょう。
理解と納得
흔들리는 나침반이 답답해도
そんな風に自分の中で生まれた羅針盤であっても、定まらなくて悩んでしまうことがある、という状況をよく表しているなあと深く納得した歌詞です。
思った通りに進むことができない自分をもどかしく思ってイラついたり、そんな風景まで思い浮かびました。
『全部分からなくても 全部知ることはできます』についてです。
ここの部分だけ丁寧語になっています。
翻訳している方は丁寧語で翻訳していませんが、私はあえて丁寧語のままで考えさせてください。
それまでは平語だったのに、どうしてここだけ丁寧語になっているのでしょうか。
それは、“語り掛ける”という表現を突き詰めた結果だと思っています。
こういう曲中では平語を用いられることが多く、聞いている人に語り掛ける口調であっても“親しい人”前提になっていることが多いように思います。
でもリアルで大多数に語り掛けるときって、結局丁寧語だったり、敬語で語り掛けることが多いと思います。
また、曲に限らずファッションや映画、趣味等には「大衆向け」という言葉があります。
一部の限られた人に向けるのではなく、一般の、多くの人を対象としたもののことです。
この曲はシングルA面とかではなく、アルバムの6曲目です。
それでも限られた、セブチのことを追っているファンはもちろん、そうではない人にも、例えば、何らかのおすすめでちょっと聴いてみたような人にも向けて作られた曲なんだと思いました。
また、歌詞の意味についてです。
『全部分からなくても 全部知ることはできます』という歌詞は一見理解しにくいです。
これが他の言語だからなのか、解釈が必要なのか分かりませんが、私は後者だと思いました。
これは「理解」と「納得」の違いだと思いました。
「理解」は自分の意思関係なく物事を正しくとらえる事、「納得」は自分の意思を踏まえて物事を受け入れる事です。
これを踏まえて、私かこの歌詞は「納得はできないこともあるかもしれませんが、理解はできます」ということだと思いました。
お互いを良いとか悪いとかそんな風に判断はできないけれど、受け入れていきたい、そんな風に感じました。
友人関係とか、そんなものなんじゃないかなと思いました。
お互いの悪いところも良いところもなんとなくわかってて、完全に納得することはできないけれど、ほどほどに理解しながら付き合っていく。
これがともに歩んでいくことの最善形なんじゃないかなと思いました。
もしかしたら家族もそうなのかもしれません。
私には“納得”できませんが。
共に歩むということ
サビです。
タイトルの英訳はTogether(一緒に)になっていますが、直訳は「一緒に行きましょう」です。
このサビでタイトルの意味がよくわかります。
伝えたいことが真っすぐに素直にまとめられていると思います。
だからこの曲が大好きです。
ただ素直に気持ちが綴られているこの曲が、
私が絶対に発言できないような、
また言われたことのないような言葉が綴られたこの曲が大好きです。
唯一無二です。
ほらやっぱ青春ゾンビ
ここの歌詞なんとなく私も感じたことがあるなあという歌詞でした。
毎日の出来事とかはなんとなく覚えていて、昨日は月が満月だったとか、晴れだったとかそんなことは覚えていて、そうやっているうちに次の満月が来たりするのに、
ふと、自分は成長しているのか、こんなに時は経ってしまったのに何も成長してないんじゃないかと不安になる感覚です。
高校生の頃や、ここ数年感じているような気がします。
ここは『見た目のいい「青春」』という歌詞が刺さりました。
日本語でいうと「聞こえの良い青春」でしょうか。
現在進行形で青春ゾンビの私ですが、高校生の頃は「今だけしかできないことをしよう!」とかはあまり実践できていなかったように感じます。
十代だけが青春ではないとスクールオブロックの遠山校長もおっしゃっていましたが、これからも求める青春があるのだとしたら、こんな妄想を追い続けるのであれば、やっぱり生きるしかないのでしょうか。
…と言っていて気付きましたが、『これからもっと歩いていくのがいいから』という歌詞を、「歩くか」「歩かないか=死」と考えている自分が居ました。
こうやって0、100の考え方だから困るんですよ。
これは早急に直したい考え方です。
ここ2年は言ってます。
こういう私の改善した方が良い思考を全世界に後悔したところで、『それがそんなに簡単じゃなくて』という歌詞が来ました。
もうあたりまえの思考になって堂々巡りです。
なおさなきゃ→でもそんなにかんたんじゃないしな
→でもこの考え方不便だな→でも“~しなきゃ”って思うのもな
→でも…です。
ここだから生きる歌詞
この歌詞を聴いたとき、友達や大好きなアーティストを思い出しました。
自分の成長にずっと付き合ってくれた人々だと思います。
自分がその人たちを忘れることは想像できなくて、「忘れられたら悲しいな」って思いました。
(やっぱり他人軸ですよね)
アーティストについては認知とかいろいろ他の要素が入ってしまいますが、特に友人はそうでした。
漠然と時が進んでしまって、迷子になっている様子を『息切れするように過ぎていく明日の「ある日」』と表現していることに納得しました。
このCメロで丁寧に歌うことでこの少し考えないといけない部分が強調されているように思いました。
きっと他のパートでは伝わりにくかった歌詞なのかもしれません。
主観です。
歌唱力が最大限に爆発している(いい意味です)のがこのパートだと思います。
思わず歌ってみたくなります。
歌ってみたらよりこのパートを歌うスングァンの凄さを実感することができますよ…。
セブチは皆歌が上手なのはもちろんですが、流石ボカチ(ボーカルチーム)ですね。
これまでのサビとは違って最後のこの部分だけ上がっているのが大好物です。
ハモリの高音が上り詰めているような音階になっているのも大好物です。
さいごに
繰り返しになりますが、苦しい時に立ち上がるきっかけになってくれる曲だと思っています。
くじけてしまったとき、もうだめだと倒れたとき、
肯定して一緒に横に座ってくれる曲がJIMIN(BTS)の『약속(約束)』だとしたら、
座りながら気晴らしの相談をしてくれるのはセブチの『힐링(Healing)』で、
立ち上がるために力を、手を貸してくれるのはこの曲だと思っています。
現実は簡単に立ち上がることはできなくて、座り込むのに数年、立ち上がる決意をするのにまた数年かかるでしょう。
それでも、数十年後の自分が前を向いていればその前の数十年間は全く無駄ではないですよね。
…誰かにそう言ってほしいという意思が見えますね。
一人ではないという気持ちが大事ですが、苦しい時に他の事なんて考えることができません。
そんな時、「ひとりじゃないよ」と声をかけてくれる人がいるのは人生の最大幸福かもしれませんね。
友人たちにもセブチにも感謝です。
ちなみにセブチは「ひとりじゃない」という曲も出しています。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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