好きな曲は好き~君が飛び降りるのならば / Omoi, 初音ミク~
はじめに
今日はOmoi作、『君が飛び降りるのならば』という曲についてお話しします。
始めてボカロ曲についてお話ししますが、ボカロとの出会いは簡単に以前お話ししています。
この曲は、前曲『君が飛び降りるのなら』という曲とリンクしていると考えられています。
歌詞が詳しく書いてあるので、私は深く解釈したり、詮索したりしなくて良い曲だと感じています。
タイトルにあるように、飛び降り自殺をしようとしている友人に向けた曲のようです。
飛び降り自殺を考えるほど、何かに悩み、思いつめ、諦め、さようならしたくなった時、死ぬという選択肢を否定するのではなく、生きる目的をちらりと見せるとか死ぬことから意識を逸らすとかそんな方法をとっている曲です。
優しいですよね。
明るくポップな曲調の中に優しさを感じる曲です。
ただ妄想癖がひどい!私!
イラストがとってもかわいらしいMVです。
是非見て下さい!
ここの中の歌詞で一番響いたのは『君の長所はマジメなこと ただ妄想癖がひどい!』です。
私は気付きやすくて、考え込みやすくて、他人に気を遣いまくって、他人の気持ちを妄想・想像しまくって、自分の中で腐ってしまうタイプです。
長所と短所が表裏一体。
ここ3年間でこのことに気付き、他の人からも良く言われるようになりました。
そのためやっと自覚した部分です。
まじめで自分以外のことも真剣に考えてしまう人は、なんとなく他人が直接言っていないことも自分の中で予想して、極端に言うと妄想の中に溺れてしまっているような気がします。
防弾少年団(BTS)の『SO WHAT』という曲の歌詞に次のようにあります。
自分の中の妄想が生み出した想像の沼に溺れるな、という歌詞です。
まじめな人はこのような傾向が強いと言いますが、私はもっと多くの人がいつでもその沼に嵌ってしまう可能性はあると思います。
いつもは元気が良い人も少し心が弱ってしまったとき、いつもメンタル不安定だった人に決定的になるような出来事が生じてしまったとき。
人はいつでも、自作の想像と妄想の沼で溺れてしまう可能性があります。
でも、そんな長所と短所を勢いよくメロディに乗せて言っている部分がさっぱりとしていて素敵な曲です。
まあ私のnote記事にある考えなんて妄想8割あるかもしれません。
今じゃなかったかも、でそのままやりすごせ
ここのサビはその情景まで浮かびますよね。
二人で高いところから落ちていて、全然怖がっているようすはなく、なんなら手はピースの形をしている。
現実の飛び降り自殺にて、走馬灯がどのタイミングで見えるのかよく知りませんが、(知られている事なのでしょうか?)きっとここらへんでこれまでの思い出が脳裏に流れ出すはずです。
そんな時に、ふと見たかったテレビを思い出す。
そんなことを想像して、「なんだ見たいテレビあるのに一緒に飛んじゃったの?!っちょ!巻き戻し!巻き戻し!」と言いたくなりました。
これで完全に意識が死から娯楽へと移行することはないかもしれませんが、脳内に死だけではなく娯楽という選択肢の候補が上がっただけでも本人にとってはラッキーなのかもしれません。
私が本当に死ぬ準備をしていた時、「死人に口なし」という言葉がすっと引っかかっていました。
私が死んだら、あたしが伝えたかった事、喚き散らしたかった事が全部なかったことになるんだと思いました。
別に誰かに有益なことを話したかったわけではなかったのだけれど、
でもnoteにしたら誰か読んでくれるかもしれない。
曲を作って投稿したら誰かが聞いてくれるかもしれない。
と思いました。
そう思い立った日にフィルムカメラで世界で一番醜く泣いている自分の写真を撮りました。
これが遺影だと決めました。
こんな状態になってしまった原因の一つである大学のある部屋の写真も撮りました。
大好きだった屋上と、そこに寝転ぶ靴も撮りました。
眠れない夜には月の写真を撮りました。
そしたら三日月が撮りたくなって、約20日待ちました。
こんな風に遺影の撮影をしていたら2か月過ぎていました。
毎晩毎晩、夜をどうにかやり過ごすような感覚だったのですが、どうにか生きていました。
それはいざ死のうと思ったときに、意外とやりたかったことが多かったからです。
「それは死にたいと思っていなかったのでは?」なんて考えられてしまうかもしれませんが、死にたいと思っていたのは事実です。
紛いなく確実な私の感情です。
“死に時”なんて言葉は信用したくありませんが、これが私は今死ぬタイミングじゃないということだったのでしょうか。
自分への諦念感と音楽への陶酔
この曲は自殺したい人を止めたい人が言っている事なのでしょうね。
素敵な関係性だなあと思いました。
私は自殺したい側の人間ですが、きっとお互い様なはずです。
この世界から消えたいとより強く思っていた頃、音楽はずっと素敵でした。
音楽を作る人も、表現する人も素敵でした。
ときどきその努力が私にはとても眩しく見えて、直視することができない時もありましたが、芸術は美しかったです。
新しい遊びも経験しました。
完全に消えることはない世界への諦念感を抱えながら、音楽への快感を感じていました。
これらの感情は共存するんだと驚きました。
ここは『未来』という漠然としていて遠すぎて見えない時期はいったん忘れておこうぜと言ってくれているように感じました。
「スモールスッテプ」という考え方ってありますよね。
小さい目標を立てて、成功して、また小さい目標を立てることで成功体験を積んでいく方法です。
この曲におけるスモールスッテプは読んでいた漫画だったり、新曲だったり、人によってバラバラでしょう。
本当に死にたくなっているとき、小さな成功体験をした方が良くても、それを思いつく体力もなくなっていることが多かったです。
だからこそ、自分ではない自分をほどほど知ってくれている人からスモールスッテプの提案をしてくれることが重要だと思いました。
『一世一代の大舞台』は飛び降り自殺の様に感じましたが、私は人生を表しているのかなとも思いました。
人生は一回きり、どんな人生であっても大舞台で素晴らしいものであるという考え方をしました。
ここの後半の『ホントーに飛べる日』とは本当に自殺を実行する日という意味も持たせてあるようですが、自由に気ままに人生を歩めるということを飛ぶと表現しているのではないかと考えました。
そのため、二つの意味があって聴き手の心情と考え方に沿って自由に解釈することができるなと思いました。
どっちにしろ、『もうちょっとだけ一緒に居』たいです。
さいごに
この曲はボカロです。
普段聴かない人はほとんど聴くことがないジャンルだと思います。
是非聞いてみてくださいね。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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