好きな曲は好き~journey/赤い公園~
はじめに
これまでも赤い公園について沢山お話してきましたが、今日は『journey』という曲についてお話しします。
私は優しいけど厳しくて、歌うと自分への戒めのような曲だと思っています。
特にこの曲のリリース直後は、前ボーカルのちーちゃん脱退発表があったため、ちーちゃんに向けた曲のように思えてしまいます。
間違いだらけの答え
この曲は赤い公園にしては珍しく(?)イントロがなく、ちーちゃんの力強い歌声、そして命令形の強めの言葉から始まります。
広大な土地でバラバラに倒れているメンバー。
とても印象的です。
道草といえば、小学生の下校中を思い出します。
決められた通学路ではなく、ちょっと寄り道したくなるような気持ちです。いつからか、そんな気持ちはなくなって、「早く帰宅したい、早く行かなきゃ」そう思うようになっていました。
道草は所謂幼い無邪気な気持ちの表現であると感じました。
大人になるにつれて、無邪気な気持ちを忘れて、ないもののように見ないふりをしていました。
また、私には小さい頃に大事にしていた自分だけの宝箱がありました。
友だちからの手紙、海で見つけたまあるいガラス石、お気に入りのうさぎのシールこれらを詰めた私だけの宝箱です。
今は思い出して懐かしむものになりました。
こんな宝物のように、価値観は大人になると変わります。優先順位もです。
そのため、ここの歌詞は良くも悪くも変化する自分を俯瞰している歌詞だと思いました。
私は気付きやすい方です。
心労が多いねと言われるほど、色々と気にして考えてしまうほどです。
でも、そんないろんなことに気付いても私ができる事はたかが知れていますし、特別なスキルもないです。
いつまでたってもそのギャップがもどかしくて、自分に満足することなんて一生無いように思えてしまいます。
『そんなに偉いのかい』と言われると、俯いて笑って「偉くないなあ」とつぶやいてしまうほど、気付きやすいことで得をすることは少ないかもしれません。
だからこそ私はこの曲が大好きです。
「別に偉くないし、偉くあろうとしないでよ、どうせできやしないことなんだから」と言われているような気さえしてきます。
また、この歌詞は『108』という曲とも似ている部分だと思います。
『そんなに悟ってどうするんだい ひとりで悟ってどこ行くんだい』
まるで茶化すように、揶揄しているような、そんな雰囲気を感じました。
賢くなるなよ
サビです。
このサビは一番と二番で歌詞がほぼ変わりません。
だからこそ、一番伝えたいことはこの部分に詰まっているように感じました。
モラトリアムという言葉があるように、大人になっても学生時代を懐かしむような、未練があるまま生きていく人生や、理想の自分になったつもりで、満足しているかのように自分をだましていく人生、
これらを揶揄しているように感じました。
…上手く言葉になっているか、自身がありません。
後半の『賢くなるなよ 間違いのない答えはない』という部分がずっと引っかかっていました。
『何を言う』という曲でも感じましたが、私は作詞の津野米咲さんが厳しい幼少期を過ごしたように思えました。
完全な妄想ですが、周りの大人等から「賢くあれ」や「この道を進め」と言われて育った人のように見えていました。
完全に自分と重ねてしまっていたのかもしれませんが、赤い公園の曲の節々でそのようなことを感じていました。
だからこそ「型にはまって賢くあろうとしなくても良い」と自分に言ってあげたかったのかな、と考えました。
人生において考えると、大森靖子さんの『流星ヘブン』のように、死こそ人生の結果であり、終焉です。
自分の人生に間違いがあるなんて考えながら生きたくはありませんが、間違えることもあります。
でも、「間違った」ことが答えではなく、結果として存在するのは生死だけなのかもしれません。
…何を言っているのか自分でもわからなくなってきました。
後半で補足します。
なぜ道草をやめてしまったのか
幼少期の冒険を私はなぜやめてしまったのでしょうか。
あの冒険心と好奇心、正義感はなぜ今は見えなくなってしまったのでしょうか。
…なぜならば、恐怖を覚え、優先順位が変化してしまったからだと思います。
自分の無力さやその時その時で大事にしなければならないことがあって、それに気を取られ過ぎているのかもしれません。
だからこそ、同年代の人で冒険心や好奇心、素直さを持っている人がうらやましく思います。
私もまた大事にしたいです。
後半の歌詞のように、今の私はただただ今日をどうにかやり過ごし、明日が怖くて眠れなくなっている臆病者です。
こんな風に今日にも明日にも怯えている私は大人になんて慣れていないもかもしれません。
大人の定義なんて様々ですが、少なくとも自分の考えていた大人になんて慣れていません。
津野さんもそれを実感していたのでしょうか。
『どこが大人だよ』という歌詞は心に刺さって痛いです。
この捨て去るような歌詞は後々繋がる部分があります。
人任せにするなよ
二番のサビです。
一番では『賢くなるな』と言っていましたが、ここでは『賢くなるのよ』と諭しているように聞こえます。
また、『錆びた鎖でがんじがらめ』は古い固定概念に縛られている様子を想像しました。
しきたりや固定概念に縛られたくない、という意思も感じました
…両親の希望や田舎特有の考え方に振り回されている私に刺さります。
『誰かのせいだと泣く奴に明日はない』という歌詞が力強く歌われています。
誰かのせいにすると楽で、今日の自分はとりあえず救われます。
でもそれでは成長しないのでしょうか。
成長しなくても良いのでしょうか。
…一生大人になんかなれないのかもしれません。
これらのことから、今の自分を考えて、過去や周りの言いなりにならないことが『賢くなる』ということなのではないかと考えました。
この後はむせび泣くようなギターがなります。
死ぬまでヤングでいようぜ
学生時代に未練がある人は青春が10代で終わったと思っているとすると、『勝手にやめるな』は、「青春は10代なんかじゃ終わらないんだよ、もっと続くんだよ」と言ってくれているような気持ちになります。
スクールオブロックにおいても、何度も遠山校長が言っていました。
「大人になっても青春がある」と。
これと同じような勢いを感じました。
だから、「勝手に諦めて、勝手にわかったようなふりをするな」と腕を掴まれて歌われて、ハッとしました。
MVにおいて、ちーちゃん以外のメンバーは死んだように目をつむっていました。
全員が動いていませんでした。
しかし、ここからちーちゃんが口を動かして歌い始めます。
ここの曲の勢いに、ちーちゃんの迫力が増す様子に鳥肌が立ちます。
前半で放り出した『間違いのない答えはない』に繋がる部分です。
教科書上の問題のように、人生に間違いはないということを言っていると考えました。
でも、そんなに都合良く「うん、自分は間違っていない。ここまで良く生きてきた。ぜーんぶ正解!」なんて思うことはできません。
「あのとき、ああしてればよかったかな」「あのときこうしていたら人生違ってたかな」と、思ってしまうことはたくさんあります。
この歌では、このような自分の言動や選択を間違っていると思ったままでもいいんだよと言ってくれているような気がしました。
そのまま、自分は間違っていることもしたなあと思いながら、“最期”の正解である“私”というものを歩んで行けということでしょうか。
私は私以外になることはなく、ずっと私です。
…さっきよりも言語化できるようになったと思います。
さいごに
リリースとちーちゃんの脱退時期が近かったこともあり、ちーちゃんを送り出すような曲にも聞こえます。
これは私の想像ですが、ちーちゃんは脱退する際に「これは間違った選択かもしれないけれど、私はソロでやっていく」と言ったのでしょうか。
もしくは脱退するといった際に、誰かに「それは間違った選択だ」とでも言われたのでしょうか。
なにがあったかはわかりませんが、ちーちゃんへの応援歌だと良いな、と私は思っています。
こんな妄想に近いことを、ここまで読んでくださってありがとうございました。
ぜひどこかで、これを読んだ方がどういう風に考えたのかを聞かせてください。
♡励みになりますありがとうございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?