好きな曲は好き~ルーキー/サカナクション~
はじめに
今日はサカナクションの『ルーキー』という曲についてお話しします。
深夜三時のあの感覚
この曲はシンセの耳を突き刺すような(痛くはない)音から始まります。
私が不眠と途中覚醒に悩んでいた(いる)とき、この歌が浮かびました。
全然眠れなくて、心臓がバクバクして、時時耳鳴りがして、薬を飲んで、無理やり眠ろうとしていました。
無理やり寝たもんだから、ベッドサイドのライトを消し忘れたことがありました。
「あ、ライト消し忘れた」と思うと同時に、「今何時なんだろう、朝だと良いな」という思いがよぎります。
そして時計を見て絶望。
深夜の3時半です。
約3時間ほどしか寝ておらず、かといって朝までそんなに遠くはない時間。
薬を追加すると遅刻が怖くなるし、起きているにはつらい時間です。
そんな時に、この歌詞のことを思い出していました。
ここは何だか抽象的です。
『悲しみと同じ歩幅』というとなんとなく、小さい歩幅でテクテク歩く様子を想像しました。
そのため、「悲しい」という感情と類似した歩幅、つまり「小股で歩く」の様に考えました。
夜を乗りこなす
『何気ない部屋』とは自分の部屋ではないかと思いました。
サカナクションの山口一郎さんが、よくお話しされている「夜を乗りこなす」に繋がる表現だと思いました。
どうせ起きたまま過ごして朝が来るなら、ぼんやりしながら朝を迎えようとする感じです。
眠れない夜を乗りこなすのは本当に難しいです。
大人になればなるほど自分の身体のこともよくわかってきて、眠ることができなかった次の日、それ以降の自分のパフォーマンスがどれぐらいのものになるのかもなんとなく理解できるようになりました。
…やっぱり適当に生活リズムは整えた方が良いです。
誰への願いか
ここの歌詞は主語や目的語がなく、自分なりに解釈しないといけないことだと思いました。
そのため、いろんな解釈があると思います。
私は夢にでてきた「人(or物)」に言っているように思えました。
その人(or物)はきっと主人公にとって救いになったのかもしれません。
またはもっと大きな“夢を見る”という行為は寝ているときにしかできないことなので、眠れないと悩んでいる人にとって、夢をずっと見ていたい=眠っていたいという願いになっているのかもしれません。
そうすると主語は「夢」であるかもしれません。
春の心乱
『街は花びらさよならの風』は春を表していると思いました。
そうすると眠れないこの曲は春の歌なのでしょうか。
タイトルの『ルーキー』も新入生、新社会人、といったことが想像されるので、春とマッチしているように思えます。
『君の歩幅』とはどのような歩幅なのでしょうか。
きっと今はまだ実践できていないという事、と仮定すると、君の歩幅は悲しみの歩幅ではない=堂々とした大股と解釈しました。
いつも小股でチビチビとしか歩けないのだとしたら、きっと『君』の姿勢や歩き方が羨ましくなりそうです。
夢の中に出て来てほしいと願った人や物はありますか?
そうやって願った人ほど出てこなかったりするのです。
この曲の主人公は、憧れている『君』が夢に出てきたのでしょうか。
それなのに深夜に起きてしまって可哀そうだなあと感じますが、主人公は、
出て来てほしい人、起こってほしいシチュエーションに縋っているように見えました。
さいごに
サカナクションのライブ映像を見るとこの曲の初めにレーザー演出が凝っていて、驚きました。
このライブ映像は中学生の頃、毎日見るぐらい大好きでした。
また、この曲の最後のコーラス(合唱)の部分が好きで、いつも一緒に歌いたくなります。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
♡励みになりますありがとうございます。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?