好きな曲は好き~海と花束/きのこ帝国~
はじめに
今日はきのこ帝国の『海と花束』という曲についてお話しします。
とっくのとうに無い
泣き叫ぶようになるギターが印象的です。
私はこの曲を高校生の頃に聴いていたので、母親とけんかするたびに、「もうどうでもいいよ」って投げやりな気持ちになっていました。
そして、けんかするたびに、母親と馬が合わないところがわかってきて、もう伝わりあう事はできないんじゃないかな、と思うようになってきました。
諦めです。
大学生になって、どうして両親はこんなにも私に過干渉なんだろうと思うようになりました。
考えられた原因は、両親、特に母親が私を同一の存在であると認知する傾向があるからでした。
だから私の一挙一動に興味関心が高く、要求が多く、希望が高い。
そう考えました。
私はこの『錯覚起こしてる』という歌詞がこれにリンクしているように思えました。
花束で弔うのは私
この歌詞を聴いているとき、私は一人暗闇の中、母親に謝っていました。
期待通りの娘になれなくてごめんね
賢くなくてごめんね
同一の存在であると思わせぶりなことをしてしまってごめんね
でも、『これでもう忘れよう』、です。
もう謝ることも止めたかったし、両親の希望を満たせないことで自分を嫌いになることもしたくなかったです。
タイトルにある世に、『花束』という単語が出てくると、ウエディングとかお祝いとかいろいろありますが、私は、「献花」が思いつきました。
交通事故等で無くなった人を弔って、道端に花束が置いてあることがありますよね。
それです。
そのため、この曲になるように、花束を持って海へと向かう行為は、海で亡くなってしまった人を弔いに行っているのではないかと思いました。
そうな状況の時、死者と約束することは、何でしょうか。
私は、お墓に眠る祖父に祈るときには、「元気です。見守って居てね」と言っています。
こんなふうに死者との約束や願いは幼稚で、とりとめもないことになってしまいます。
このような考えを踏まえて、心理的な別れも思いました。
両親の思い通り、いい子の私とはもうお別れしないと、と思いました。
そう思って、高校生の頃この曲を泣きながら聞いていました。
だからこそ、前に出ていた『ごめんね』は自分に対してのごめんねでもあったのではないかと思いました。
自分の意思を無下にしてごめんね
これまで自分の声を聞いてあげられなくてごめんね
大切にできなくてごめんね、
といったことです。
叶えたいことと叶わないこと
次の歌詞です。
前の章で記述したように、分かれる対象が以前の自分であるとするならば、この歌詞はより自分との別れ、そして自分の成長を示しているように思えました。
これを聞いたとき、私は「両親からの承認」でした。
多分、そんなの一生叶わないと思います。
今一番叶いそうな願いは朝が来ることぐらいです。
そんななか、「両親からの承認」なんて叶わないでしょう。
一生私は両親に認めてもらえないんでしょう。
こうやって勝手に悲しくなって、一人で泣きます。
両親とのあれこれとか、全部、いろんなことに頭を悩ませているけれど、
全部『ただそれだけなんだよ』っていって流せるようになりたいです。
一つ一つに躍起になって、一生懸命戦おうとしちゃうけれど、上手く流して自分の思い描く生き方で生きることができるようになりたいです。
さいごに
この曲はギターのリフが最高の曲です。
是非聞いてください。
お願いします!
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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