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小説 『お見通し占い師 上多世綿子』 ②


神殿をイメージして作られた番組セットは、床や壁、ソファーやシャンデリアに至るまで全て白で統一されている。                          
スタッフの拍手と共に登場した流々は、マスカットのように甘く爽やかな香りがした。
スタイルの良さが際立つ黒の細身のパンツスーツにサックスブルーのシャツを合わせ、腰辺りまであるさらさらの黒髪を下ろしている。
流々が、会釈をしてソファーに腰掛けた。
背筋をピンと伸ばし、睨まれているのではないかと不安になる程とても強い眼差しでこちらを見ている。
ニコっと笑い掛けると、目を伏せられてしまった。
ちらっと見えた何とも寂しげな表情が、映画の1シーンのように美しかった。
流々の抱えているものを思うと、胸がぎゅっと締めつけられるようだった。

あれは、目の錯覚だったのだろうか。
目の前で微笑む綿子の周りに、一瞬蝶や花や天使までもが見えたような気がした。
内側から強く光を放っている。
全てを見透かされているような気がして、思わず目を逸らしてしまった。
膝の上に重ねている手に、自然と力がこもる。
デビューからこれまでの歩みを簡単にまとめたVTRが終わり、誰にも気づかれないようにゆっくりと小さく息を吐いた。
当たらないとは思うが、念のため何を言われても動じないように気を引き締めた。
でも、占い結果を聞いて正直拍子抜けした。  
どれも、ちょっとインターネットで調べればすぐに出てくるような内容ばかりだったからだ。
それにしても、綿子は何て優しい声をしているのだろう。
もしも、天国からお迎えが来るとしたらこういう人なのかもしれない。
今さら声に感心するなんて案外緊張していたんだなと思ったら、ふっと小さな笑い声が漏れた。
その時だった。
                         
「流々さんは、演じる事をやめようとしていますね?」

いきなり確信をつく質問に、思わず息を呑んでしまった。                          
認めたも同然のその反応に収録は中断。
何やら慌ただしい雰囲気の中そのまま座っていると、プロデューサーが飛んできて何度も頭を下げられた後、収録の中止を告げられた。
まだ何1つ視聴者が聞きたいであろう話はされていないし、何より、続きが聞きたい!そう思って映見を呼ぼうと視線を外した瞬間、「ちょっと来い!」と大きな声が聞こえた。
振り返ると、プロデューサーが綿子の腕を掴んでいた。

「何だこれは?邪魔だな~!」

舌打ちをして、「とにかく来い!」と言ってすたすたと歩いていく。
「すみません」と言いながら後に続く綿子のドレスの裾が、孔雀が羽を広げた時のように繊細で美しい。
目で追っていると、いつの間にか"綿子自身"はスタジオの外へと消えてしまっていた。

こってりと絞られた綿子は急いでスタジオに戻ったが、もうそこに流々の姿はなかった。
躊躇いなく白いハイヒールを脱ぎ右手で持つと、左手でドレスの裾を抱えて勢いよくスタジオを飛び出した。
すれ違う人たちに驚かれながらも流々の控え室やトイレなど必死に探したが見つからず、肩で息をしながらゆっくりと目を閉じた。
どこ?どこに居るの?
早く!早く浮かび上がって!
でも、何度願っても姿は見えない。
やっぱり、流々の『生きる力』が弱まってきているのだ。
嫌な汗が背中に滲む。
これを逃したら、もう救う事ができないかもしれない。
絶対に諦めるわけにはいかない!
エレベーターホールに向かうと下向きの矢印ボタンを何度も押し、ようやく開いた扉に急いで乗り込んだ。
地下駐車場の出入口に立って辺りを見回すが、似たようなワゴン車が何台も停まっている。
目を瞑っても、やはり姿は見えない。
この中のどこかに流々がいるかもしれない!
端から順番に、祈るような思いで探し始めた。


「……え!どうして?」
                            ようやく見つけた流々は、綿子の車の側に立っていた。
ずっとここで待っていてくれたのだろうか。
急いで駆け寄り、後部座席の扉を開けた。

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暗くてよく見えないけれど、せっかくのドレスが汚れてしまっただろう。
せめて綿子に楽に座って欲しくて、ギリギリまで奥に詰めた。

「えっと……どうしたらいいですか?こういうの……初めてで……」

"こういうの"とは、占われる事を指しているのか、それとも全てをさらけ出す覚悟ができているという意味なのか自分でもよく分からなかった。
不安と緊張で二の腕の辺りをさすっていたら、カーディガンがずれ落ちそうになった。
 
「さっきの続きをお話しますね。流々さんは、本当はやめたくない。演じる事が何よりも好きだから。演じる事をやめてしまったら、生きる気力がなくなってしまうと分かっている。でも……何をしても批判ばかりされる。だから、問題は複雑なんです」

固く唇を結んだまま、話の続きを待った。
                                   「最近演じていないのは、自らオファーを断っていますよね?」

驚いた!                        世間では、演技力のなさやワガママが原因で、仕事が"なくなった"と言われているからだ。 

「もう疲れた……
雑誌やインターネットに溢れる話のほとんどが、事実とは違う。
でも一度表に出たら、『それが事実』にされてしまう。
訂正しても人々の記憶からなかなか『嘘』は消えず、それどころか奇異の目にさらされてしまうことすらある。
全てを放り出して消えてしまえたら、楽になれるだろうな……と思う。
でも……演じたい!
誰かの役に立ちたい……!
一体、私はどうしたらいいの……?」

そう打ち明ける事ができたら、どれ程心が軽くなるだろうと思ったが全ての思いを飲み込んだ。

「デビューしてからずっと、誰にも本心を打ち明けられない。 
話が漏れるかもしれないと思うと、怖くて信用なんかできないから。 
食べて気を紛らわせようと思っても、仕事に影響するから太ってはいけない。 
呑んで一瞬でも辛い事を忘れたいと思っても、お酒のCMに出ているから万が一にでも酔って失敗するわけにはいかない。 
泣きたくても、次の日に仕事があれば目が腫れてしまうからそれすら許されない。
高価なバッグや靴を買ってみても、すっきりなんて全然できない。
だって、本当に欲しいものはお金では買えないから……。                        
家から一歩出れば、いつでも『小川流々』でいなければいけない。
好きな人と……普通に外で会いたい……                           
まばゆい光の中にいるように見える有名人を、『自分よりも絶対に恵まれているはずだ!』と思う事があるかもしれない。 
でも、もしかしたらその有名人の方こそ"普通という名の自由な世界"に憧れているのかもしれない。
『だったら、さっさと辞めれば?』なんて簡単に言わないで。
例え仕事を辞めたとしても、1度世の中に存在を知られてしまったら、もう完全には元の世界に戻る事はできない。

有名人は特別なんかじゃない!
みんなと同じように傷つく。        
だから、どうか子供の頃のように網を持って蝶を追いかけ回さないで。
追い詰められた蝶はやがて弱り、上手く逃げる事ができなかったら標本にされてしまう。
輝く命が消えた後も、いつまでも人目に晒され続ける。

もしも世の中から『有名人だから仕方がない』というような思いがなくなったとしたら…… 
巡り巡って《あなたが大好きなあの人》も、穏やかな毎日を過ごせるようになるのかもしれない」

流々は、カバンから水を取り出すと一口飲んだ。
話していたのは綿子だった…今、自分は聞き手だったと、頭の中で何度も確認した。
あまりに綿子が自分の気持ちを言い当てたので、もしかしたら自分が話していたのではないかと少し混乱した。

「どう……して……私の……」
「見えるんです!だから、どうか私の話を聞いて下さい。もう……あんな事は二度と起こって欲しくないから……」

つづく


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