物語『インタビュー』
楓は家族が出掛けた後、急いで玄米おにぎりとお野菜たっぷりの豚汁を食べて食器を洗っていた。
「今日のパンは、この季節にぴったりのクリームパンです!」
楓は『クリームパン』という言葉に、思わずテレビを見た。 朝はバタバタしていて、ゆっくりテレビを見られるわけではないが時計がわりにつけている。
『このパンがオススメ!』というコーナーが始まっているので、「だいたい7時40分くらいだろう…」と思いテレビの左上に出ている時間を見たら7時42分だった。
─あ!まるちゃんだ!
と思って、楓は慌てて手を止めテレビに集中することにした。
楓は、まるちゃんが新人の頃から応援している。 黒髪のショートボブ。 素朴で清潔感があり、息子のお嫁さんにしたいタイプ。 もちろん、見た目だけではなく性格もよさそうだ。
新人アナウンサーに密着する番組があった時に、まるちゃんは「放送中に、アクセサリーを一切しないことにしている」と言っていた。
確か…誰かが事故や事件で亡くなったというニュースを読むときに、キラキラしたアクセサリーをしていたら『亡くなった方のご家族や関係者が見て、どんな気持ちになるかを考えてのこと』と言っていたはず。
楓はこの密着番組を見てから、まるちゃんの大ファンになった。
スタジオに登場したのは、丸い普通のクリームパン。
「どこがこの時期にぴったりなのだろう?」と思っていたら、まるちゃんが半分に割って中を見せてくれようとした。 しかし、「そのまま!」とスタッフらしき声が聞こえてまるちゃんは手を止めた。
パクっと一口食べたまるちゃんは、クリームが鼻についたことに気がつかずパンの感想を言っている。 それがまさかの『抹茶のクリームパン』で、クリームが目立つ!目立つ!
クリームに気がついて急いで拭おうとしているが、余計に広がってしまってまるちゃんは大慌て💦
─大丈夫!まるちゃん!
その一生懸命な姿に、楓は今日も元気をもらった。
*
「あ~またやっちゃった…」
丸高理紗は、生放送でクリームパンの試食をしたが失敗。
まさかあんなに、なめらかなクリームがたっぷり入っているなんて思わなかった。
案の定、放送中からおしかりの電話が鳴り響いた。
「鼻についたクリームが気になって、全然味の感想が伝わらなかった」
「朝から不快だ!」
中には、「そこまでして可愛く見られたいのか!」というような声まであったそうで正直落ち込む。
蔵毛(くらげ)テレビのアナウンサーになって、今年で6年目。 丸高理紗という名前から、『まるちゃん』と呼ばれている。
これまで天気予報や短いニュースを伝えてきて、春から朝の情報番組のアシスタントになった。
同期の川島美香には、「理紗には、クラゲの神様がついているから大丈夫!」と謎の励ましを受けた。
─でももし本当に…クラゲの神様が守って下さっているのなら、どうかもう少しテレビの向こうの皆さんにちゃんと伝えることができますように…
帰りにスーパーでクリームパンを買って、家で試食の練習をしようと思った。 でもすぐに…明日のインタビューに向けて本を読まなければいけないことを思い出し、クリームパンはとりあえず明日にまわすことにした。
明日の取材の相手は、原田 楓。 20年以上専業主婦だった楓は、苦しかった自分の経験をもとに物語を作りブログにアップしたことがきっかけとなって小説を出した。
確か…『崖の下に咲く白い花』というタイトルだった。
楓は時の人で、他のテレビ番組や雑誌にも数多く取り上げられていてさすがの理紗でも楓を知っていた。 『さすがの』と言ったのは、とにかく理紗にはいつも時間がないからだ。
生放送を終えた後は反省会。 企画書や台本を書き、今日は急遽夕方のラジオニュースも読むことになった。 前回放送した、取材の記録もまだ書けていない。
夕食は、自分の席でおにぎりやカップ麺をぱぱっと食べるだけ。
習い事や友人とご飯などを楽しんでいる同期や先輩たちの話を聞くたびに、「本当に1日…同じ24時間なのだろうか?」と不思議でならなかった。 自分の要領の悪さに…悲しくなる。
アナウンサーは、テレビに映っている時間よりもそれ以外の仕事をしている時間の方がうんと長い。 急に入ってきたニュースを正確に『読む』ことも大切だが、しっかりと準備し『自分の言葉で…自分の心で伝える』ことが仕事だと理紗は考えていた。
ふと思う…
─こんなに忙しくしていて、どこかに行ったり本を読んだりして経験や知識を増やす時間もない。 そんな自分は、ちゃんと自分の言葉や心で『伝える』ことができているのだろうかと。
どんどん私から出ていって、何も入ってこない。 このままでは、いつか私は空っぽになってしまうのではないかと時々怖くなる。
理紗は、本当は水族館で働きたかった。 でも、もともと募集が少ないのに理紗の就職活動の年はさらに採用が少なかった。 だから、『毎日大好きなクラゲの側で働く』という夢は叶わなかった。
理紗が初めて水族館に行ったのは、小学3年生のとき。 食堂を営む両親に代わって、おじいちゃんが連れて行ってくれた。
初めてのときは『まるで自分が海の中の住人になったよう』に思えてすごく楽しかったが、それから毎週日曜日は『水族館の日』になってだんだん飽きてしまった。 でもそんなことはお構いなしに、おじいちゃんはいつも楽しそうだった。
おじいちゃんは、解説をじっくり読みながら1つ1つ水槽を見て回るのでとにかく時間がかかる。 理紗はイワシやエビやカニを「美味しそうだな〜」と思いながら通りすぎ、後はずっとレストランでアイスクリームやサンドイッチを食べて待っていた。
理紗の為に始まった『日曜日の水族館』は、いつの間にか『おじいちゃん孝行』になっていった。
さすがに、中学生になったら2週間に1回。 高校生になったら3週間に1回になったが、おじいちゃんがすごく楽しそうだったので理紗はうれしかった。
そんなおじいちゃんとの『日曜日の水族館』は、高校3年生の夏に突然終わってしまった。
おじいちゃんが亡くなったのだ…
小さい頃から、一緒にご飯を食べたりお風呂に入ったり遊んだり…理紗はおじいちゃんが大好きだった。
悲しすぎて、理紗は学校にも行けずましてや受験勉強なんて手につかなかった。
学校をすでに10日休んでしまった土曜日の夜、夢におじいちゃんが出てきた。 おじいちゃんは、ちゃんと学校に行って受験勉強も頑張るように言った。
─ムリだよ!
と思ったが、夢の中でいつも優しいおじいちゃんがすごく怖い顔をしていたので「おじいちゃんの為に、明日からは学校に行かなければ」と思った。
そして、おじいちゃんと『日曜日の水族館』をしようと思い立った。 おじいちゃんの写真を丁寧にハンカチで包み、カバンの中にそっと入れて電車に乗った。
水族館に着き、理紗はおじいちゃんがしていたように1つ1つ解説を読みながら水槽を見ていくことにした。 すると、今まで知らなかったことが沢山書いてあって「生き物の世界は奥が深いんだな」と思った。
クラゲの水槽の所に来たとき、ふとおじいちゃんが小学生の理紗に言った言葉を思い出した。
「クラゲには、脳も心臓もない。だから理紗が辛いときや悲しいときは、このクラゲのように何も考えようとせず ムリに頑張ろうとせず 少し流れの中で漂ってみたらいい」と。
真っ暗な水槽の中で、白く透明なクラゲはふわ〜っふわ〜っとゆっくり漂っていた。
理紗はおじいちゃんとの突然の別れを受け入れることができず、悲しくて…苦しくて…辛さから身動きがとれなくなっていた。 そんな理紗を、おじいちゃんが…クラゲが…優しく包んでくれたような気がした。
理紗はおじいちゃんのお蔭で、クラゲに出会うことができた。そして、そのクラゲから『生きる力』をもらったのだ! だから、無事に大学に合格できたのは『クラゲのお蔭』といっても過言ではない。
理紗は、どうしても水族館で働くことを諦められずにその日もインターネットで『水族館 クラゲ』と検索していた。 すると、たまたま蔵毛テレビの採用試験の情報を見つけた。
後で聞いた話だが、すでに決まっていた人や最終候補に残っていた人が相次いで辞退したそうだ。
「どうせ受かりっこない!」とエントリーしたら、あれよあれよと最終面接。 理紗を含めて3人が残っていた。
他の2人が「アナウンサーになりたい!」「蔵毛テレビで働きたい!」と猛アピールする中、理紗だけはいかにクラゲが素晴らしいかを話し続けた。
クラゲの話をこんなに興味深く聞いてもらえることはなかなかないので、「あ~楽しかった。これでおしまい!」と思っていた。
でも、その日の夕方に採用の電話がかかってきて驚いた。 思わず…「なぜ私なのか?」と尋ねたら、「力が入らず自然体でよかった」と言われた。
理紗は一瞬戸惑ったが…こんな奇跡みたいな話、『おじいちゃんからのプレゼント』としか思えなかった。 それに、毎日アレを見られることはかなり魅力的だった。
だから、理紗はこの日から「『あの子』の分も頑張ろう」と決めた。 夢を奪ってしまった、せめてもの償いに。
家に帰ってお風呂に入り、ふとクラゲの形をした時計を見たらあと3時間後にはタクシーが迎えにくる時間だった。 出発するのは夜中だから、電車はまだ動いていない。
「あ〜『崖の下に咲く白い花』…」
今から読んでも、最後までおそらく読めない。 それでも理紗は、眠るのを諦めて表紙をめくった。
─いつからだろう。 眠らずに仕事に行くことが、普通の事になったのは。眠ろうとすると3時間『しか』ないと思うのに、眠らないと決めた途端3時間『も』新しい時間を手にできたように錯覚してうれしくなる。
やっぱり時間までに読み終わらなかった。 理紗は、「お昼ご飯をパンにすれば、ぎりぎりまで読める!」と思い直した。 「あ~クリームパンを買っておけばよかった…」と後悔した。
*
楓は、眠れずにいた。 ずいぶん前に布団に入ったが、眠りたいと思えば思う程目が冴える。
明日の取材に緊張しているわけではない。 だって、苦しい経験を乗り越えた楓は「あの地獄のような日々を考えたら、他のことは何てことない!」と心から思えるから。
─まるちゃんが、テレビで見ているように『伝えたいと思える人』でありますように…
楓は祈るような気持ちでもう一度目を閉じた。
撮影場所は、ホテルのスイートルーム。 入ってすぐに、大きな観葉植物。 部屋の真ん中の長方形のテーブルには、赤とピンクのバラの華やかなアレンジメントが置かれていた。
楓を見つけるなり、慌てて理紗は立ち上がった。
「はじめまして。丸高理紗と申します。今日はどうぞよろしくお願いいたします」
そう言って、深々と頭を下げた。 色々な準備があるだろうからそれきり別の部屋に行くかと思いきや、理紗はそのまま楓と世間話を続けた。
途中、ディレクターだと言っていた男性が「メイク直しはいいのか?」と声を掛けたが、理紗は「いいの。いいの」と言って楽しそうに楓の話を聞いてくれた。
─あ~まるちゃんなら話したい…
「ではそろそろ…」というディレクターの声に理紗は反応して、さっきまでの可愛らしいお嬢さんから凛としたアナウンサーの顔になった。
「『崖の下に咲く白い花』に何度も出てくる、『落ちる』という言葉が印象的ですね」
「そう。『落ちるところまで落ちたら、後はよくなる』みたいな言葉…聞いたことあるでしょ?でも、私の場合は違った。落ちている間は、『こんなものだ…』って苦しさに麻痺したり『もう、どうにでもなれ!』って流れに任せてみたり。でも本当に辛かったのは、落ちるところまで落ちた後そこから這い上がる時だった」
「と言いますと?」
「明かりが見えて、できる限り手を伸ばしてみたり…高くジャンプしてみたり…もがいたわ。でもね、違ったの。崖だと思っていたのは…」
「くるぞ!くるぞ!」と楓は思った。 今までの取材で、インタビュアーは決まって自分で質問しておいて自分で答えを言った。 もしくは、何か答えを自分自身で持っているかのように楓を誘導してきた。
でも、目の前の理紗は純粋に「続きを早く聞きたい!」といわんばかりに目を輝かせて待っている。
「崖だと思っていたのはね、本当は…長い長いトンネルだったの。辛かったとき、頑張っても何もかも全然思うようにできなくて…まるで自分自身に裏切られているような気持ちになった。どんどん自信をなくしていったの。でも、『もう一度、自分で自分を信じてあげよう』って決めてゆっくり前へ進んで行ったらトンネルから抜け出せたの」
「なぜ、もう一度自分を信じてみようと思えたのですか?」
楓は心が辛かったとき、ずっと家に引きこもるようになっていた。 ある時それを知った親友が、気分転換に1週間ほど家に泊まりにくるよう声をかけてくれた。
楓は、「新幹線に乗るどころか、外に出るのも無理だから…」と断ったが親友が家まで車で迎えに来てくれた。
申し訳なくて…でも、ありがたくて…楓は車に乗った。
親友は無理に励ましたり なぐさめたりせず、ただ一緒にご飯を食べたりテレビを見たりして過ごしてくれた。
そんな時間も明日で終わりという日に、親友が「桜を見に行こう!」と誘った。
翌朝、楓は感謝の気持ちでどうにか家を出た。
まだ、夜が明けきる前… 紫がかった桜が、湖に逆さになってぼんやりと映っていた。
楓は、この世にこんなにも幻想的で 儚く 美しいものがあるのかと驚いた。
そして、今 将来(さき)がぼんやりとしか見えなくて「このまま自分の人生は、辛いことばかりなんじゃないか」と苦しくて絶望しているのは「湖に映っている方の桜を見ているからではないのか。ちょっと見方を変えたら、また違ったものが見えてくるのではないか」と思った。
そうしたら、今まで『自分のできないこと』ばかりに目を向けていたことに楓は気がついた。
─どうしてこんなに不器用で、何をやってもうまくいかないのだろうと…
でも、『できないこと』があってもいい。 完璧を目指さなくてもいい! 『このままの自分』を受け入れて、認めてあげようと。
その代わり、「『できること』『好きなこと』は全力で頑張ろう!」と決めたら心が少し軽くなった。
そして、楓は呪文のような言葉を言った。
『シニヤセン』
『死にやせん』とは『死にはしない』という意味で、戦争を生き抜いた祖母がよく言っていた言葉だ。
物事を『良いか悪いか』で考えるから悪いことばかりがたまり罪悪感を抱いてしまうことがあるが、『死ぬか死なないか』で考えてみるとすっと楽になる。
大概のことは…「それでは死にやせん」。
だから…頑張りすぎないで! 自分はダメなのだと、「責めたり…苦しんだりしないで欲しい」と。
「では最後に、テレビをご覧のみなさんにメッセージをお願いします」
「自分で自分を攻撃したり監視したりせず、ぜひ1番の理解者になってあげてください。例えうまくいかなかったとしても、『でも頑張ったよね…』と。長く立ち止まったり、時々引き返したりしてもいい。どうか…生きていて下さい!」
インタビューが終わって、ピンマイクを理沙に渡しながら楓は言った。
「ずっと自分の口で、伝えたい想いがあった。理紗のお蔭で、今日ようやくそれが叶った。感謝している」と。 「本を最後まで読めなかったから、初めて聞く楓の話を心から楽しめただけだ」とは言えなかった。 理紗は心の中で、「私の方こそ救われました…」とつぶやいた。
クラゲテレビに戻り、カメラなどの機材を片付けた後 理紗は久しぶりにアレを見に行きたくなった。 採用が決まった時、「毎日アレが見られる!」と喜んでいたのに実際は忙しくて全然見られない『人工クラゲの水槽』。
大学時代、歯医者さんで一目惚れをして人工クラゲの水槽を見る為に受付のアルバイトまでした。
「クラゲってすごいね。ふわふわ漂っている姿が、見る人の癒しになっている。君たちは、人工なんだぞ〜!でも、癒される。みんな…ありがとう」
クラゲは、強い意思をもって泳いでいるわけではない。 当たり前だが、人工クラゲには誰かを楽しませようとか励まそうとかいう思いもない。 なのに、こんなにも心が落ちついて力をくれる。
アナウンス室に戻ったら、同期の美香が席で野菜ジュースを飲んでいた。
─今なら…受け止められる!
理紗は、ずっと気になっていたことを「尋ねてみよう…」と思った。
たまたまアナウンス試験を受けただけの自分にはないが、美香にはアナウンサーになるために全国を一緒に回った友人達との絆がある。
最終面接まで残るのは、だいたいいつも同じメンバーらしくあの時の『あの子』とも今でも連絡をとっているようだ。
「ねぇ〜あの子どうしてる…?」
美香は、あの子は結局「アナウンサーにはならなかった」と言った。 蔵毛テレビを、「最後の試験にしよう!」と決めていたから。
ちょうどその頃、付き合っていた人が海外で働く事が決まっていた。 だからあの子は、その人について行くことを選んで今は結婚して子供が2人いる。
現地の美味しい食べ物やステキな場所を紹介する動画配信を行っていて、すごく幸せに暮らしている。 だから、恨むどころかむしろ理紗に「感謝している」と話してくれた。
「なぜ もっと早く教えてくれなかったのか?」と美香に尋ねたら、「なんかあの事が、頑張れる源になっていそうだったから…」と言った。
心が疲れてしまったとき、「自分にはなんにもない。こんな自分はダメだ」と思うことがあるかもしれない。
でも、人はみな知らず知らずのうちに誰かに影響を与えている。それが「いい影響だった」と思ってくれているということを、当の本人が知るのはずっとずっと後のこと。 そして、ほとんどは何も知らないまま通りすぎていく。
だから人工クラゲの水槽のように、「ただ、あなたがそこにいてくれるだけでシアワセだ」と思ってくれる人もきっといるはず!
確かに…生きていれば、辛いことや苦しいこともある。 でも、同じくらい『楽しいこと』や『うれしいこと』がある。そして楓のように、その経験から思いもよらないことが起こったりもする!
だから、人生は… 捨てたものじゃない!!!
完
最後までお読み頂いてありがとうございました❤