見出し画像

正欲 - 感想

はじめに

浅井リョウさんの作品「正欲」を鑑賞したので感想を記録します。
また、映画→小説の順で鑑賞したため、映画後に小説を読んだからこその気づきも共有できればと思います。

感想

マイノリティの中にも、マジョリティとマイノリティが存在する。これが、小説を読んで一番印象に残った事実です。昨今取り上げられ、そして多様性という言葉で社会が受け入れようとしているのは少数の中の多数派に過ぎないということを思い知らされました。もちろん、これらの少数の中の多数派が生きやすい世の中にすることは大事です。ただし、現在考慮されている多様性の範疇ではカバーしきれていない、少数の中の少数派を社会がどう受け入れるのか、これは非常に難しい問題だと思います。

多様性の定義が以下の通りだとすると、

ダイバーシティ - 性別、人種、民族、宗教、性的指向、年齢、障害、文化的背景が異なる多様な人々が組織やコミュニティに受け入れられ、尊重されていることを指します。

【実例で学ぶ】SDGsで求められる多様性(ダイバーシティ)とは?企業が取り組むダイバーシティの実現 [文献1]

例えば、児童性愛者も社会が受け入れるべき存在となります。加えて、作中でも取り上げられていた窒息フェチ、流血フェチなども該当します。
これらの指向を持つ人々と社会が手を取り合うことは本当に可能なのでしょうか。また、これらの人々は社会からの手助け、欲求への理解を求めているのでしょうか。

SDGsには「誰一人取り残さない」というキャッチピーがありますが、本当に実現可能なのかと考えさせられました。

人間には、防衛本能として、自分には理解不能なものを排除しようとする働きがあるように思います。そして、この本能のおかげで、今の平和な世の中が形成されていると感じます。もし全ての人が互いを受け入れ、「誰一人取り残さない社会」が形成されたとき、その世界は今より平和なのでしょうか。私ごときには想像できませんが、今一度、「多様性」について考え直し、認識を共有する必要があると思いました。

映画と小説の比較

映画と小説では、作品の本質的なメッセージに変わりはないものの、やや異なるストーリー展開となっていました。ただし、原作である小説の方が、各人物に対して深く言及されています。

例として、小説では、作品の解釈に影響を与えかねない次の情報が記述されています。検察官である寺井啓喜が、行為の際に妻の由美の涙に興奮する性的指向を持つということです。作中において、正常な人間側(マジョリティ)として描かれ、水フェチなど理解し難い趣味を否定し続けていた彼もまた、特殊な性癖を持ち合わせていたことに驚きました。
正直、水フェチである佐々木ら以上に、寺井の方が社会にとって危険な性癖なのではと思いました。ただ、寺井の場合は後天的であり、通常の性癖に戻ることも容易いかもしれませんが…

まとめ

本作を鑑賞し、「多様性」という言葉について考え直させられました。多様な人間の指向に対して、どこまでを良しとして、何を悪とするのか、明確に定義する必要がありそうです。

浅井リョウさんの作品は、答えのない問いを投げかけてくださる点が大好きです。今後も他の小説をレビュー予定です。最後まで読んでいただきありがとうございました!


参考文献[1]
 https://www.hrpro.co.jp/miraii/post-909/#:~:text=%E5%A4%9A%E6%A7%98%E6%80%A7%EF%BC%88%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3%EF%BC%8Fdiversity%EF%BC%89,%E3%81%A7%E7%94%A8%E3%81%84%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?