見出し画像

自分探しの中に見出したもの・中編

感情類別:「不安」「憤り」「理不尽」
感情影響度:経験者には辛い
シチュエーション:「パワハラ」「嫌味」


 卒研は期日に間に合い、無事受理された。
とはいえ、アレルギーレベルで抵抗のある数学系科目のテストなどがまだまだ残っている。そして、実をいうとここに漕ぎ着けるまでに既に人よりも長く大学に通っていた。コース変更も含めいくつかの理由があったのだが、大体は私自身の精神的な脆弱さが原因だった。卒研受理に至るまでの過程を丁寧に思い出して綴ってゆく。


私が抱えていたのは「過敏性腸症候群」と呼ばれるストレス性の体調不良だった。夏だろうと冬だろうと朝の通学時はこれに悩まされていた。気温や天気はもちろんのこと「乗りたかった電車に乗れない」「遅延」「満員電車」「講義内容が苦手」「教授が苦手」「提出期限が近付いている」などなど、ありとあらゆる心配事や悩みが症状の種となる。体温が急転直下で下がり、寒さと腹痛で意識が朦朧とするのだ。脂汗もかいてくる。冷や汗によって更に悪循環が始まる。こうなってしまうともうトイレから出られない。緊急用に夏でもカイロを持ち歩くほどだった。酷い時は「今日もそうなってしまうかもしれない」という不安がトリガーになり、その通りに体調は悪化するのだった。


それともう1つ重大な問題があった。私は大学で友達を作ろうとしなかったのだ。中学生の頃から同じ部活に所属していた相方が1人いれば充分だったのだ。彼は趣味もペースも私と同じ。授業も昼ごはんも帰る時も一緒。あえて新しく友達を作る必要がなかったし、特別、恋人が欲しいとも思わなかったのだ。それほど彼という存在は自然に付き合える間柄だった。これがいけなかった。


いつも一緒にいるが故に外部からの情報が一切入ってこなかったのだ。急な集合場所の変更や事前に用意する物の追加などに対応できなかった。そういった状態を繰り返せば周りからの評価が落ちていくのは当然だった。如何に人脈と情報が重要かを思い知らされた。そうして現状に違和感と不満を覚えた相方は、先に自分の道を見付けて大学を中退してしまった。最後の二年間、この広大なキャンパスに私は取り残されてしまった。


それからは恥との戦いだった。周りには後輩ばかり。普段の講義の中にイレギュラーな存在が混じっているわけである。教授からの扱いを見て関わる価値無しと判断されれば、わざわざ話しかけてくる者も稀だった。そんな折、転機が訪れた。教授達の中には私の不可解な特徴を観察している人がいたのだ。それが、後にコース変更を申請することになる認知工学の教授だった。


「君はいつも真面目に授業に参加するし熱心にノートをとってる」
「なぜテストの日になると来なくなるの?」


私は正直に答えた。自分の体質。精神的脆弱さ。友達を作ろうとしなかったこと。それ故に周りから奇異の目で見られていること。マイペースを貫いたことでこんな状態に陥っているのだから自業自得なのだが、現状を変える手札がもはや手元に無いことを説明した。


「ならうちの研究室おいでよ。同期も大学院生になってTAやってるよ。」
※TA=Teaching Assistant


救いの一手だった。寄る辺の無い私に理解を示し、居場所を与えてくれたようなものだ。研究室のメンバーも何人かは顔見知りで、化学実験などで一緒にグループを組んだ者もいた。暖かいかどうかは別として、私は研究室の新たなメンバーとして迎え入れられた。元同期達は変わり者のY君として面白がって扱ってくれたし、定期的にプリンを買ってきて食べる姿から「プリンの人」として後輩達にも認知された。


学内に拠点を得た私は随分と気が楽になったのだが、同時に、そんな私が気に入らないという存在も作ってしまった。以前在籍した研究室の教授だった。声が大きく耳が遠い人で、人目を気にする私にとって大きな声での発言を強要されること自体が苦痛だったし、何度も何度も「聞こえないよ!!」と怒鳴るように繰り返されるのが恐ろしかった。

教授からしてみれば、私という存在は自分を拒絶して逃げ出した人間なのだ。そんな存在が他所で上手くやっている姿を見せつけられれば良い想いをしないのは当然である。



ある時、そんな顔を合わせたくない教授がとある講義のグループ担当になってしまった。とはいえ、安易に乗り換えた私が悪いのだ。やるしかない。講義内容は一人一人が建物のコンバージョンを提案して図面や模型を製作する実技だった。私には一日の長があったし、後輩達よりも勝手がわかっている。真面目に取り組む姿勢を見せれば教授も正当に評価してくれる。

そんな風に直向きに課題をこなしていたある日、同じ研究室の後輩が私の進捗具合に感心して質問してきた。他愛のない質問だったが、CADに打ち込んだ図面を印刷したときに上手く印刷できないという内容だった。縮尺やプリンターの設定に問題があることを説明していたのだが、それが教授の目に留まった。


「Y、お前は遅れてるんだから人の心配なんてせず自分のことをやれ!」



教室の中に教授の大きな声が響いた。皆が驚いて私を見つめる。後輩もバツが悪くなり逃げ出してしまった。「すみません」と謝るしかなかった。



私は悪いことをしたのだろうか
偉そうに驕り高ぶっていただろうか
後輩に助言することさえ叱られる対象になるのだろうか

理不尽だ


でも、私は確かに教授に嫌われるようなことをした。教授には嫌味を言う道理がある。実際、人より遅れている私は他人に構ってる暇はないのかもしれない。それでも、大勢の前で叱りつける必要があっただろうか。いや、アレは故意だ。せっかく居場所を手にしたのに、また私を孤立させようとするのか。

私は心底教授を恨んだ。結局、その日を境に私の個別ディスカッションでは迷惑そうな顔をされるようになり、増々教授が嫌いで恐ろしくなってしまった。そんなやり取りを見た周りの生徒達も二度と私に話しかけることはなかった。


後編へ続く…

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?