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こうありたいと願う社会とは?

またもや迷走中‥
社会起業をするにあたって
なにをテーマにするのか?

そこでまたつまずいております‥

社会起業に挑戦する人/ライターの
大久保じゅんこ
です。


何がやりたかった??


前も思考がぐるぐるしていたのですが、
ここに来てまたぐるぐると‥。





社会起業アカデミーの課題は、
最初の1ヶ月で

ソーシャルコンセプト
=こうありたいと願う社会の仕組みやあり方
これを決めます。

前も「ありたい社会」ってぼんやりと思い描いてはいるんだけど
まだ言語化できていない気がします。

血でできた服を誰にも着て欲しくない


私はもともと途上国の貧困問題に関心がありました。
多分中学生の時にニュースで
ルワンダの難民の姿が衝撃的だったのが原体験。

「世界はなんて不平等なんだろう‥。
うちにはこんなに食べ物があるのに(実家は飲食店)
この子たちはガリガリにやせている」
と疑問に感じていたんです。

そこからこの映画を見て

安い服を作るために途上国の人々が
人権や環境をないがしろにされている事実
を知りました。




2013年4月にバングラデシュで起きた
ラナプラザの縫製ビル崩壊事件ファッション史上最悪と言われています。

違法に建て増しした8回建てのビルが崩れ降ち1000人以上の死者を出しました。

縫製工場で働いていた多くは10〜20代の女性たちです。

もっと安く
もっと早く

欧米アパレルメーカーからの圧力が
途上国の女性という一番弱い立場にいる人たちを傷つけてしまいました。

自分が気軽な気持ちで買っていた
ファストファッションの裏にこんなに犠牲があったんだと知り
私は大きなショックを受けました。

こちらは映画に登場する23歳の女性シーマ
農村から都市部の縫製工場へ出稼ぎにいっています。

朝から晩まで長時間働いているにも関わらず低賃金
愛娘ナディアとは1年に1、2度しか会えません。

その聡明で朗らかな彼女が
涙しながら話した言葉が印象的でした。


服を作るのがどれだけ大変か人は知りません。
ただ買って、着るだけ。
でも、その服は私たちの血でできています。
私たちの血でできたものを誰にも来てほしくありません。


このシーンは何回見ても涙が出てきます。

・なぜ、この人たちが傷付かなければならないんだろう?
・なんでこんなことになってしまった

疑問や怒りや申し訳なさや、いろいろ混じって泣けてくる映画で
彼女と同じように子供を育てる母としても
「今すぐこんなことはやめなければ」と思わせられます。



私が願う社会のあり方とは??


ここで私が思うのは、
やっぱり「大量生産・大量廃棄社会はいやだ」ということ

「先進国の人たちの豊かさを守るために
途上国の人たちが犠牲になるのはおかしい」
ということ。


しかもこの手の問題は
消費する側の先進国の人たちの意識が変われば
解決できるはずの問題とも思います。

アパレル産業はこの
大量生産・大量廃棄の典型的なモデルで
エネルギー産業に次いで環境負荷の高い産業だと批判されています。

安い服を買う時って
・ストレスの発散
・購買した時の高揚感

こういうものが多くって

モノが欲しいのではなく、買うこと自体が目的化しています。


でもその快楽は長続きしないので、また安い服を買いに行ってしまう‥。


クローゼットには、大量の服があるのに着るものがない、
その焦燥感や罪悪感は、買う人も不幸にします。


実はファストファッションって
・作る人も
・買う人も
幸せにしていない。

そんなビジネスなんですよね‥。


しかも
・農薬でのコットン栽培
・皮革産業での汚染水
・大量の服の廃棄

と環境にも多大な負荷を与えていということで
これはファストファッションを買わない人にも悪影響。


結論「誰も幸せにしていない」んですよね。


ZARAの創始者アマンシオ・オルテガとか
H &Mの創始者アーリン・パーソンなど
一部の資本家が幸せなだけ。

こんな世界もおかしいと思うんです。


でも私たちがこの
「まちがった世界」を選択しなければ
社会はきっといい方向に動く

そうも思います。


消費は投票。

まずは知ること、そして買い方を変えること。


このへんの消費行動を変えることがが
社会起業でできればな‥って思っています。

まだどんな手段でそれを実現するのかわからないけど、
「ありたい社会の姿」は少しずつ見えてきた‥かな?

今回はこの辺で‥







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