歪んだ月があってもいいじゃないの!

常識的な事は数多くありますが、今回は衛星でもある「月」について話します。

ここでおさらいしておきたいのが天体には3種類あって、「恒星」「惑星」「衛星」があります。

☀️恒星(こうせい)とは自ら強い光を放つ星を指す。主に太陽が恒星の例とされる。

🌏惑星(わくせい)とは、恒星(太陽)の周りをグルグル回っている水金地火木土天海などの星を指す。太陽ほどではないが地球も光を放つことができる。

🌙衛星(えいせい)とは、惑星の周りをグルグルと回る星。

☀️の周りを🌏などの惑星が回っていて、🌏の近くを🌙が回っているという事になりますが、SFチックな話をしますが例えば「🛰️人工衛星」と言うものがありますがアレは、地球の周りをグルグルと回っていますよね?という事は名前の通り人が作った衛星となるって寸法な訳ですが、遠い未来ひょっとすると「人工太陽」なんて擬似太陽が人間の手によって打ち上げられ自ら強い光を放ちながら月と太陽が入れ番こに人間がコントロールする時代が来る…かもしれませんがそれはまた別の機会に。

ここで不思議に思うのが月も光を放っているのではないかという事だ。

身近な事に疑問を持つ事は脳にとって大切な事
だがタネを明かすと太陽の光が反射して月から光が放たれている様に見えているだけなのだ。
その事から月は自ら光を放たない…即ち次は衛星に分類されるという訳。

ここまで話していることは全て小学校レベルだが、日頃から「なぜなの?どうして?」という気持ちは失ってはいけないですよね。

さて話を戻しましょう。

私の中ではその星などが球状なのは何故だろうなと子供の頃から疑問でした。
その事から今回このような歪な形で、グニャグニャに歪んだ存在をあくまで自己主張の一環として「私の中での月はこうなのだ」と言っているわけなのです。

月がグニャグニャに歪んでいるならなぜ光を放つなんて言えるのだろうか?

太陽の光が反射しているなどの常識は創作時には足枷にしかならないのだ。

花が心臓から生えていたり、目玉から足が生えてきたりと突拍子も無い…それが私が求める芸術作品の理想である。

あり得ない事、出来っこない事。

あげ出せばキリがないが、芸術などの創作時は出来ない事は無いのだ。

何故なら自分の手で時間をかけて造るからだ。

日常で使われる常識はあくまで己の保身の為のものだが、ある日突然自分の常識が通用しなくなったらどうします?反対に非常識で行きます?それも一興。

私の場合は元々常識なんてものは持ち合わせておらず「昨日はこうだっただろうけど今日はこうだ」と気ままに描いたり描かなかったりとドン引きするような生活スタイルで創作を繰り返しております。

己の心の中に歪んだ空間があるなら、それ以上に宙に浮く雲も成層圏も、地球の外を回っている月さえもグニャングニャンになっていても誰も得もしないけど損もしない。

因果なものですが、芸術とはナンセンスでありながらも誰にでも創作が可能な一種の知能ゲームなのだと私は思います。それでは。