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こんぱくとでぃすくの思ひ出 〜もう繰り返さないでいいよ〜

レンタル業大手のGEOが先月末でCDの買い取りをやめたとのこと。時代の流れとは恐ろしい。

CDはその頒布の容易さを武器に人々の元へ音楽を届けていた。MD(今の若い子は知らないよね……)の登場でコンポやポータブルプレイヤー界隈はざわついたものの、今もなおCDショップといえば音楽を売っている店だという認知があるだろう。あるよね?

そうは言ってもネット社会である。音楽データはCDという物理媒体を介さずに一瞬で届けることが可能になりCDの役目も終わるのだ。これはもう仕方がない。とはいえ、そこに哀愁と憐憫を覚えずにはいられない。


しかしながら、私は一つ嬉しいことがある。

これは、CDの行く先が潰えるのとは直接関係はないのだが、CD隆盛だったころ(あるいはカッセットテープの時代から)に起きていた、ある許されざる事象が消失するからだ。

今現在、音楽を聞こうと思えばyoutubeなどで検索をすれば公式非公式関わらず大抵のものは聞くことができる。また、歌詞を調べるのも簡単だ。PCなりスマホ上の無限に広がるスペースであるから、どんな長い歌詞でも全て載っている。


そう、私がかねてより許すことの出来なかったこと。


それは




※ 繰り返し  


これ。

「Repeat」表記の場合もあるが、個人的に「※ 繰り返し」が一番嫌い。特に理由はないが。

わからない方もいるかも知れないので

はい、サンプル画像。

GARNET CROW『Holding you, and swinging』より
ちなみにネットで検索すれば当然repeat表記はなく
全文書かれている



昔のCDには歌詞カードといって、紙に歌詞が書いてあったわけですけど、書ける文字数に限りがあるんですよね。これにより何が起きるかと言うと、

収まりきらない長い歌詞が書きづらいので
・表現をカットしたりする(かもしれない)
・本当は繰り返したくないのに繰り返す
(助詞一文字だけ変えるとかの技法の放棄。この技、私が大好きなやつ。深みが増し増しになる)
・1番だけで物語完結してるやんって曲になりやすい

ええ、完全に私の趣味の問題です。


楽曲ってのは、一つの物語なんですよね。歌詞があってメロディがあって歌唱があって。で、意味を付与するのは言葉である歌詞なわけです。

1番のサビと2番のサビとラストのサビの言葉が同じであったとしても、繰り返しであったとしても、そこにたどり着くまでに物語は変化しているはずなんです。

それを!
大人(紙面)の事情で!
※ 繰り返し で済ますなど!
いやいや繰り返しじゃないから!!って
私は思うわけなんです。
一言一句変わってなくても全部書いて欲しい!

例えばです。
即興で作詞しました。聴いて下さい。


『ミムラス』

頬をなでる やわらかな春の風
昨日まで降っていた雨からのプレゼント
どこからか香る この花の名前は

※春の風が吹いたよ
澄んだ空に そっと吹いたよ
笑顔を忘れないでと言うような
ぼくの側を今 抜けていく

頬を染めて うつむいて照れ隠し
昨日まで怒ってた君からのプレゼント
どこまでも続け この胸の高鳴り

※ 繰り返し

何度 何回 冬を越えれば
君のいた春がかえってくるの
あの日からそのままの君からのプレゼント
今になってわかる あの花の名前は

※ 繰り返し




あーーーーーーーーーーーーー台無し!

おわかり頂けますでしょうか。
各サビが何を表しているか。
1番は風景しか歌っておらず、さわやかな風のイメージです。
2番になって「君」が出てきて甘酸っぱい青春のイメージです。
Cメロで不穏な空気を匂わせつつも花の名前とその花言葉から「ぼく」は春を取り戻します。
『ミムラス』その花言葉は「笑顔を見せて」。
ちなみに見出し画像の花です。

(本当に適当に書いたので深い意味などは一切ありません、念のため。ちなみにミムラスはラテン語で道化の意味らしい。これは偶然)


ね。
※ 繰り返し  なわけがないんですよ。
言葉は一緒でも、そこで表現されるべき感情は全部別のものなんですよ。そこを雑に扱われるような気がしてガマンならんのです。



はい。こんな感じです。でも大丈夫。これからはもうこういう憤りは感じずに済むのです。

グッバイCD
ありがとうCD
かえってくるな「※ 繰り返しこめじるし



↑区切りのこれは普通に使いますがね。

こういう頭空っぽの記事も書きたいときはあるのです。果たして共感は得られるだろうか。まぁいいや。


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