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心のパレットに自分だけの色をもつ

 流行に流されやすい人や真偽不明の噂話に振り回される人をみて、自分がないのだろうなーとか、何かに属していないと不安でたまらないのだろうなーとかを、昔からよく考えていた。

 ところが、note上のある記事がその限りではないらしいと分かりやすく教えてくれた。それらの行為は、新しいことを自分の中の普通にしていく行程に過ぎないとうこと。つまり、自分の中の既存の普通に、新しい情報や価値観をインプットして、自分の中で処理して取り入れていくことだという。なんてことはない、私の座右の銘としているところの「価値観のアップデート」と本質は同じなのだ。唯一の違いは、その現象の表出が外界にあるか内界にあるかだけだった。内界のアップデートに偏重している私は、外界のアップデートたるファッションやトレンドを追うことはしなかったし、冒頭で述べたような蔑んだ目で見ていたことも事実だ。それはひどく真っ黒な感情だ。その人達の思いを全て塗りつぶしてしまう黒だ。

 私は、好きな色がない。

 色なんてただの光の反射による現象でしかない。もちろん、色の違いが心理状況を表現したり動物界において危険信号などの役割を果たしているのは知っている。だが、そこに好む好まざるを持ち出し語らう意味がわからなかった。だから、私はこう答えていた。

「黒が好き。全てを塗りつぶせるから。」

 黒が好きなわけではなく、全てを塗りつぶせるという機能を好きということにした。日によっては、情熱たぎる赤が好きな日もあれば、おだやかな心でいられる空の水色が好きな日もある。でも、その気持ちはずっと続くわけではなくて、黒で塗りつぶしてリセットするのだ。だから私のパレットには黒が大量にある。

 流行に流されやすい人たちは、どんなパレットを持っているのだろうか。空きがたくさんあって、新しい色を見つけてはストックしていく人や、既に持っている色と混ぜ合わせて自分だけの色を作っていく人もいるのだろう。思い思いに、その色をキャンバスにのせていく。

 私も流行に流されやすい人と本質は同じだと感じたわけだが、私にとってそれがどういうことかというと「影響を受けやすい」ということだろう。外界ではなく内界への表出、すなわち思考や価値観への影響だ。

 私は自覚はなかったがかなり「影響を受けやすい」人間であった。noteを読み返すとよくわかる。書く内容も、書き方も、考え方も。つまり、黒が大量のはずの私のパレットにも、気付かぬうちに無数の色が入り込んできているのだ。そして自然にその色をつかって描き綴っている。

 自分の持っている色と、新しく入ってきた色を混ぜ合わせて色をつくっていく関係上、なじみやすい色や合わない色同士というものは存在するだろう。実生活においては、この合わない色のほうが私の周囲には多い。でもnote上には、なじみやすい色や、より素敵な色合いになる色がそこかしこにあるのだ。黒ばかりの私のパレットにはとてもじゃないが収まりきらない。黒を捨てないといけないだろうか。

 その必要はない。この黒は私自身なのだ。影響を受けやすい自分において、絶対的に譲れない部分。確固たる自分であるための黒なのだ。だから、これからはこう答えよう。

「黒が好き。塗りつぶされない黒が好き。」

 たくさんの色をパレットに集めて、その上で自分だけの黒を少し混ぜる。その色は私にしかだせない色合いで、それが誰かのパレットに入ったり、その人の色と合わさってもっと素敵な色になることをほんの少し期待しながら、今日もこのキャンバスにのせていく。

 アナタの好きな色はなんですか?

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