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エゴがエコをエコにするから、私のエゴはエコにもエコにもならない

「レジ袋は有料ですが購入されますか?」

プラスチックレジ袋が原則有料化されてもう1年以上経過している。既に多くの方が、この新しい生活様式に順応していると思う。

私はと言うと、有料化前と何一つ変わらない。いや、一言「袋ください」という発話が増えてしまったか。

プラスチックゴミの削減の推進。この流れは日本が世界と共に社会問題解決に取り組んでいく以上避けられないものである。有料化が実施された時の環境大臣のせいなどではない。とっくに決まっていたことだ。

その流れの中で、法人も個人も有料化に関するガイドラインが許す限りの選択肢は用意されていて、その結果としての冒頭の言葉である。

法人としては、この社会の動きに沿うようにしておかなければ、それは「社会の敵」認定されて”持続可能な”経営に支障をきたすことは明らかだ。これは致し方ない。

そして、個人の側というと70%〜80%のレジ袋辞退率だそうだ。正直驚いた。こんなにも減るものなのかと。

個人がレジ袋を辞退する理由を考えたところ
・袋代払うのがもったいないなどの個人的なこと
・レジ袋による環境負荷を考えたこと
といったところだろうか。うむ、賛同できない。

私は価値のあるものに対価を支払うのは当然であるという考えだ。レジ袋はそれに見合う価値があると認識しているので、基本的にレジ袋を購入する。ちなみに金額は関係ない。1円だろうが、1000円だろうが、同じだ。

私は外出時に手ぶらでいたい人間だ。出先で買い物が必要になったら、袋代を含めて購入物として捉える。輸送手段としてのレジ袋に価値をおいて、そこに代金を支払うのは当然と考えている。だから、袋代がいくらだろうと、購入商品と袋代の合計が、合理的な価格・価値だと判断したら支払う。袋代を払うのを渋り、本当にほしい商品をその場で手に入れないことのほうが、私にとっては耐え難い。

次に、環境を配慮して辞退している人というのは、一体どれくらい存在しているのかという疑問もある。環境問題は今に始まったことではない。高い意識をもって行動している人は、そもそもレジ袋が有料化する前からエコバッグを使っているはずだ。

つまり、有料化後の辞退率が上がったのは、各個人が利己主義的観点から意思決定を行っているためと判断できる。

そんなことは国も分かっているから、有料化を実施したわけなのだが、この点を私はやや嫌悪している。

「有料化さえすれば、環境問題について考えなかった者もレジ袋の使用を控えるだろう。金がかかれば考える」という、思惑がそこに見え隠れしないか。簡単に言うと、馬鹿にされている気がするからだ。そして、本質を霞ませてしまう原因にもなっている。

実際、レジ袋ごときに数円でも払うのは愚かだ。と言う人がいたり、数円払うだけでマイバッグを持ち歩く不便さを回避できるなんて素晴らしいことだというわたしもいる。

これは価値観の問題だから、どうにもならないことだ。本当の問題は、この話をする者たちの間に環境問題という言葉が出てこないこと。これを考慮できていたらレジ袋は買わないという選択肢しかないはずである。

とまぁ、そういったことは置いておいて、結果としてはレジ袋の使用量を減らすという目的は達成している。しかしながら、環境問題という意識はほとんどない状況ではないか。

これはきっと誰のためにという点が見えないのが原因だと思う。環境を大事にすることで我々の子孫のために住みよい地球を維持するため、と言ったら聞こえはいいが、漠然としていてイマイチしっくりこない。だから、今まで無料で手にしていた物に代金を支払わなくてはいけないという状況を、納得しやすい個人的なこととして受け入れていっているのだと私は思う。その結果、私の場合はレジ袋を購入するという選択に行き着いてしまう。

私は、誰のために何のためにそれをするのか分からないのが嫌だ。あるいは、その行動をしてほしいと願っている人の本気が感じられないのが嫌だと言ってもいい。そこに私の意識を載せるほどの価値がないと言ってもいい。逆に、それさえ見えれば、いくらでも乗っかってやる。

街を歩いていると何かしらの募金活動に遭遇する。その際に気が向けば寄付することがある。何に気が向くかというと、活動をしている「その人」にだ。その人の募金活動への向き合い方を見て、寄付するかを決める。だから、ジャンルは不問でその寄付金が一体どこにどう使われるかはあまり興味ない。

その人にとっては、募金活動をするほど魅力的な何かをその団体なりに感じているわけで、その人の価値観と実際の行動に敬意を表して寄付する。
「君がそこまで熱心に取り組むソレは、さぞ素晴らしいものなんだな。よしよし、協力しよう」といった具合だ。

ちなみに、中高生が内申点目当てなどの利己的な基準で参加しているようなのが透けて見えると、笑顔でスルーだ。

私は価値のあることに対価を支払う。

対価とは金銭に限らない。場合によっては信念すら譲ろう。

今はまだ利己的観点のレジ袋辞退が主流だと思うが、もっと社会全体が環境問題に重きを置くようになれば、私もエコバッグを持ち歩くようになるかもしれない。

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