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第2章「自分を成長させたいくつかの話」#19そんなことを考えながら、私は仕事中に帰れと叫ばれる

怒るほど帰れという、だって怒りでもしないと、
私が仕事を止めないから。自分より周りの方が、自分の限界を知っている。

2018年10月
オーストラリア・パース

ラーメン屋のウェイトレス
鉄板焼きのキッチンハンド
ホステルの受付
カフェのキッチンハンド


4つの仕事を掛け持ちして3ヶ月ほど経ったある1週間。
体の限界だった。
昼と夜で仕事を掛け持ち、朝9時から夜10時まで働きづめだった。
朝起きたら手が震えている。
意識もあまりはっきりせず、無理やり表情筋を動かしているようだった。

特にその日はひどかった。

朝の9時からカフェの仕事、
そのカフェはシティの中心部にあり、とても忙しい。
繁忙時間はなんとか耐えたが、終盤割れた皿が私の指を突き刺した。

普段の私なら、
「あ。切れた笑。絆創膏ください。」

違った。
言葉が出ずに立ち尽くし、出したくもないのに涙が出た。
なんてこった。
オーナーもスタッフもびっくりして、すぐに応急処置をしてくれた。

韓国人と台湾系オージーの夫妻がオーナーのカフェ。韓国人のオーナーは、アジア人が時々無理しすぎるのを分かっている。

本当にごめんなさい。
迷惑かけてごめんなさい。

そこそこの大人がぐしゃぐしゃになりながら何度も謝った。

オーナーは言った
「ごめんなさいは言わなくていいよ。ただ、こんなに無理することないでしょ!
仕事一つやめなさい!シフトが多すぎるなら減らしていいから!」

呆れる、とか「何してんだ!帰れ!」とか。
一切なかった。
その言葉にあるのは、「心配」だった。
別に、特別に私を気にかけてくれているわけではないけれど、その時は寄り添ってくれた。

また余計に涙が出た。
ありがとうございます。
何度も言った。

病院に行くほどの傷ではなく、
夜は夜で鉄板焼きの仕事があるので、
とりあえず出勤した。
そこまで忙しくはなったが、休む暇はなかった。

このお店は日本食だが完全韓国人経営、フロアには日本人もいたが、シェフも皆韓国人で、キッチンは私だけ日本人だった。
キッチンは6人ほどいて、みんな個性豊か。
私が異常な速さで皿を洗うので、やめて欲しくない一心で、最初は優しくしてくれていたようだ。
料理長は特に優しかった。でも彼は、物静かだし、英語も上手じゃないので、面白いことなどは言えない人だった。その不器用な優しさが嬉しくて、お兄ちゃんのような存在だった。

その日も普段通り仕事をしようと、一生懸命普通にしていた。
3ヶ月ほぼ休みなしの環境は、知らず知らずのうちに精神を壊していたことに、自分で気づかなかった。

薄い意識の中で、皿を洗えばまた手を切る。
事は起こってしまった。
手を負傷した瞬間に、泣きたくもないのにまた涙がこぼれた。
スタッフみんながまたびっくりして、
大丈夫!?と駆け寄ってくれた。

私は、大丈夫と言うが、側から見れば全く大丈夫ではなかった。
泣きながら皿を洗う人はきっと大丈夫ではない。

料理長はしばらくして、
「バン!!ゴーホーム!!家にいますぐ帰れ!!!」
と大きな声で言った。

びっくりした。
「え・・・まだ仕事あるし、こんな中途半端じゃ帰れない」
「関係ない!まず休め!明日も休んでいいから!」

その時も感じた。
優しさからくるキツイ言い方だと。
キツくでも言わないと、私は帰らない。無駄に責任感が強い。
そして、黙々と仕事をしているのを、料理長は見てくれていたから言ってくれたのだと、悟った。

その日以降、
今まで7日間全てに入れていたシフトを、調整して、必ず休める日を作るようにした。
というか、してくれた。
結局、私は全ての仕事を辞めず、半年間ワーホリビザ満期まで働いたのだ。
全ての職場が大好きで、辞められなくて、それでもどの職場もシフト調整して、私を働かせてくれた。

料理長は、普段飲み会に一切来ない。
愛妻家ですぐに家に帰る。
しかし、私のお別れ会の時は、最初だけだが来てくれた。
しかも、その日は料理長の誕生日で、尚更すぐ家に帰りたかったはずなのに。

「バンのお別れ会だから、来たんだよ。うちの店で働いてくれて、本当にありがとう。奥さんの料理食べさせたかったなあ。」

そう言ってくれた。
仕事の時、私は基本的に話さない。きっと、会話しづらかったはずなのに、いつも声をかけてくれた。
スーシェフも、いつもありがとうと働くたびに言ってくれた。
フロアスタッフも、時間があればいつも呑みに行った。

例えその国だけの付き合いだったとしても、その時、そう思ってもらえるくらいの環境にいれたという事は、
私は一生懸命その時を過ごし、素敵な仲間と思い出を手に入れることができた、ということ。

私が仕事をする上で、一番心がけていたこと。

小さいことでも、大きなことでも、必ず言葉にして
「Thank you/ありがとう」

と言う。

配膳の人が、洗い物を運んでくるたびに、「ありがとう」と言っていた。
はじめは、皆、え?そんな大したことじゃないのに、みたいな顔をしていた。
しかし、しばらくすると、みんなも「こちらこそありがとう」と言ってくれるようになった。

忙しくても、常に言うことを心がけた。
忙しくなると、気持ちも張り詰めるから。


ありがとう、と言うと、皆笑顔になった。
しょーもない、と思われるかもしれないが、現実雰囲気が変わったのだ。

自分の限界が来た時、
みんなとのお別れが来た時、
心がけていてよかったなと思った。
みんなに出会えてよかったと思った。

何より、周りの人に恵まれていたことが幸運だった。
仕事終わりにみんなで飲み明かしたあの日々は、本当に楽しかった。

ありがとうございました。

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