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池と遊具がある公園で、池の生態系にふれた子どもたち楽しそう

都会に行けば行くほど、公園はたくさんある。設備が整っていて、売店ではビールも売っていたりする。サイクリングロードや、立派な遊具もあったりする。池がある公園もある。

でも、池で子どもたちが楽しそうにしている公園は少ない。なぜかというと、大抵が「釣り禁止」の貼り紙があるからだ。しかし、まれに釣りができるな池のある公園に出会う。

そんな公園を見つけた私たち親子は、そこに釣りをするためによく訪れる。閑静な住宅街にあるそれほど大きくはない公園だ。というより公園のほとんどが池。

初めてここに訪れたとき、少し衝撃的光景だった。パパと子どもという組み合わせで釣りを楽しむ人ばかりではなく、ママと子どもで釣りを楽しみに来ている親子らしき人もいた。歴史のありそうな公園だから、子どもと一緒に釣りに来ているママは、自分が幼い頃も同じように親や祖父母に連れられてきっとここに釣りへ来ているに違いない。そんな光景を我が子たちと眺めながら「次は釣り道具を持ってこよう!」と、子どもたちと決めた。

ザリガニいるかなあ。

それからというもの天気の良い休日の午後に、ちょっと釣りをしにこの公園に訪れるようになった。基本ザリガニかクチボソしか釣れないが、春夏秋冬、季節によって釣れる大きさが違う。

秋は、今年生まれたクチボソの赤ちゃんが大量にいて、極小の針でも口に入らない。まるで餌付けをしているようだ。この違いを、子どもたちも感じ取り「夏に来たときは簡単に釣れたのに、なんで?」と悩む。

めちゃくちゃ小さいクチボソ

ザリガニ釣りをしたら、今度は面白いように釣れる。ここでも、子どもたちは違和感。「夏にはあまり釣れなかったのに何で今日はつれるの?でもサイズが小さいね。」

小さいザリガニはエサをはなさない

こんな気づきは、公園にある立派な遊具でだけ遊んでいたのでは感じることができない。遊び相手が自然であ必要がある。人間以外の生態系に触れ、一緒に遊ぶことによって、相手に合わせて考える、相手の気持ちになって考える。これを知らず知らずのうちにやっている。

本来は、人間も同じような多様的な考えを持っているし、多様的な行動をしたり発言をしたりする生き物のはず。大きな針で釣れないクチボソのように、クチボソそのものを受け入れてあげないと、遊んではくれない。

これは、対人間に対しても同じ。そんなことを自然と遊ぶ、人間以外の生態に触れることにより、人間らしい優しさが身につくと私は親として考えている。

遊んでくれてありがとう

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