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正義の定義と責任

「○○することは正しい!素晴らしいことだ!」と賛成する人も居れば、「○○するなんてとんでもない!今すぐやめるんだ!」と、言うシーン。
色々な場面で多くの人たちが意見を繰り広げている姿をよく見かけます。

お互いがお互いに自分の正義を振りかざし、相手にその正義を押し付けようとしている様子。 僕に言わせれば、両者共にどちらもいい迷惑です。
それは、正義の名のもとに振舞う人間こそ、最も迷惑な存在だと思うから。しかも、その正義って客観的には根拠のない個人的な思い込みの産物でしかない場合が往々にしてあります。

自分の思いや考えを述べるのはあくまで個人の問題であり自由に尊重されるべきですが、それを周りの人に強制するのは、ただの暴力
そんな当たり前のことが分からない人が多すぎるのでは、と最近よく感じています。

選択することは、僕たち一人ひとりの個人に与えられた自由です。
ただし、その選択によって周りの人がどう感じるか、自分に対してどういった態度をとるかは相手の自由ですし、それによってどんな結果になろうとも、それぞれ個人の責任でしかないのです。

しかし、社会の法的ルールや会社に於ける理念や社訓については全く違います。そこには 個人によって「選ぶ」「選ばない」の選択肢が与えられているのではなく、広くその社会や会社全体で共有されるべきものです。
会社の理念や社訓については社員に共有され、共感が得られることが非常に重要です。社員一人ひとりが共感しているからこそ、理念を理解して社訓を行動に移すことができる。当たり前だけど、そこに対する共感力のようなものは欠かすことができません。

法的ルールが社会の正義であるように、企業理念(=価値観)は会社にとっての正義である、と僕は考えます。
個人の自由で勝手に会社の方針を決めたり、理念や社訓から逸脱した行動をおこしてはならない理由がそこにあるのです。
今は一人ひとりの「個」が尊重され、自由に表現をすることができる時代です。ですが、僕たち一人ひとりが利己的な「自由」と「権利」を振りかざすだけの正義に染まらないように、 と心から強く願っています。

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