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Taenaka no Nuno という布

私は"産地"と呼ばれる場所によく足を運ぶ。
デニムを求めて岡山に行ったり、播州織を求めて西脇に行ったり、そして和歌山県の高野口にはパイル織物であるベルベットがある。

今回は創業74年になる妙中パイル織物株式会社へお邪魔し、工場見学させてもらってファクトリーブランドであるTaenaka no Nunoについて取材をさせてもらった。
この取材を通してやはり原点である"産地は人だ”ということを思い知らされることになったし改めてその価値を自分自身に問うことができるとても有意義な時間であった。

この記事は3部構成になっている。

"産地"というものの価値

そもそも私は"産地"が取り組むブランディングなどには少し違和感を感じている。
というのも「自分たちを守ろう」とするあまりに自分たち本位の商品開発やブランディングになってしまい結果として市場が求めるものを作れていない場合が多いと感じるからである。

どの産地でも概ね共通する課題があって、例えばそれは後継者不足であったり人口減少だったり、海外製品の台頭による需要自体の減少であったりする。

それをなんとかしようと生産者が集まって「自分たちの価値をしっかりと発信しよう」ということで自分たちにしかできないものを開発していく。
それ自体は素晴らしいことなのだけれど、どうしてもそこに「外部の目」が入らないから磨かれない原石になってしまう。
いわゆる「付加価値の押し付け」状態である。

同じような課題感を持っていた高野口のパイル織物の生産者たちの中で「それではいけない」と妙中パイル織物の妙中社長が声をあげ、とにかく情報を取りにいこうと勉強会に参加したり東京の展示会に出展したりと積極的に「外部の目」に自らを晒し始め、東京での展示会への参加は18回目にもなるという。

「産地全体を守りたいと思う、それは代々染み付いてるんですよ」

そういって妙中さんは少し照れくさそうに話してくれた。

地域で生きるということ

妙中パイル織物の創業は現在の社長のお祖父さんだそうで当時は織物工場に丁稚奉公に出てから独立し織物工場を立ち上げ、ミシンを導入し織物の縫製も行っていたそうです。戦後、織物が売れなくなった時には残りの生地で下駄の鼻緒などを作って東京へ売りにいったりしていたのだとか。
お祖父さんはとにかくいろんなことに挑戦するのが好きだったようで、妙中さんの幼少期には養鶏場までやっていたそうだ。

そんなチャレンジ精神旺盛なお祖父さんであったが人望も厚かったそうで、火事や水害が多く自ら地域の消防団の団長や町会議員に出馬したり、その後県会議員もつとめ防災ダムや河川の堤防強化事業も行なったりととにかく"地域"に多くの時間と熱量を使っていた、まさに地域で生きるということの中心にいるような人だ。

妙中さんは政治家に興味はないんですか?
と聞いてみたら
「いい部分だけじゃなくて、周りに迷惑をかけることも知っているからないですね」と笑っていたが「でも友人が立候補するのを応援したりしてます」ともいっていた。
とにかく妙中の家計はお祖父さんの代から地域を中心に考えてどうやったら良くなるのかを真剣に考えてきたのだろう。
とにかくお話しをしていく中でも「地域」とか「産地」とか「みんな」とか他者を主語にするお話が多かった印象である。

こんな妙中さんだから「この産地を守りたい」といっても全く違和感がなくて、そして本当にそう思っているからこそ産地に対して厳しい意見も持っているのだ。

とにかく変わらなくてはいけない


妙中パイルは時代の変化とともに急激に変化をしきてた会社である。
昭和35年ごろはビーバーという商標の織物(フェイクファー)が非常に人気で、分業制が当たり前の産地でありながら織りも染めも加工も内製化し、1日100反の生地を高野口駅から貨車で東京方面に出荷していたんだとか。
1反出荷すると1万円の利益が出るというからかなりの金額である。

それから平成にかけて車のシートのためのパイル織物の生産が盛んになった。
毎月20万メートルの生地を出荷し、産地全体で400社が協力体制をとりながら一緒に発展していった。

しかしバブルが弾け徐々に車のシート向け生地の生産量が減っていった。
自動車メーカーの厳しいコストダウン要求でモケットやベルベットがシート生地の価格帯に入らなくなってしまったのだ。

世界的にもそんな流れがありアメリカやドイツのBMWでもベルベットを使用しないシートが主流になり織物関係の会社は軒並み廃業していった。

突然の変化に対応しきれず廃業を余儀なくされた会社がたくさんあった。
特に分業制によって「これしかできない」という会社は軒並み苦しくなっていった。
妙中パイルは生産のほとんどを内製化することができていたためなんとかその技術を活かしながら次の「車のシート」となるべく商材を探していった。

妙中パイル織物でしか織れないベルベットがある

「変化に対応できてるか?と言われると全くできてないと思います」
と妙中さんは話していたが、この厳しい環境の中でその種まきを進めていて、そして着実に実り始めているから驚きだ。

例えばインクジェットの設備を導入しかなりクオリティの高いプリントベルベットが作れたり、化粧品会社の化粧パフとして採用されたり、液晶パネルの生産に使われる工業用ベルベット素材であったりととにかく私では全く想像できない販路を見つけ出しながら着実に前に進んでいる。

「Taenaka no Nunoはその中でもしっかり育てていきたいんですよ」

と力がこもった言葉が印象的だった。


次回へ続く

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