尾崎豊の歌は切ないけど暗くなんかない

「僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない」

学歴主義、受験戦争、そんな時代を生きた人。

勝ち続けるって大変だ。

そもそも勝ちってなんだろうな。

そんなことを考えていたのかな、尾崎も。


尾崎を知ったのは亡くなってから。

母が、「歌は良いのよ」と言ったことから興味を持ち。あれよあれよと沼にはまった。

ちょうど中三から高校までの間。

多分私は、反抗期はほかの子に比べてひどかった。親の庇護のもとにいながら、親に縛られていることへの自分に対するフラストレーションみたいなものが強かったのではと、今思う。

そんなわけで、別に不良でもなかったが、尾崎の内から放出される叫びが具現化された彼の歌や歌詞がなんとなく、自分の精神状態と波動が合ってた、と言う感じ。

なんだかよくわからないけど満たされない。

わかってもらえない孤独。

ひたすらもがく、何かのために。

怒り、悲しみ、苦しみ。

それらが尾崎を、というか、尾崎の曲を作った感情なのではあると思うのだけれど。

なんだけど、悲しい切ない歌であっても、どこか未来への希望を感じるのだ。どんな歌にも。

その理由はただ一つ。

尾崎自身の歌声の中に、いつも光があるからだと思う。

どんなに叫ぶように泣くように歌っても、

「俺たちはこうして、傷だらけになりながら、這いつくばりながら、どんなに無様であっても、でもちゃんと前に進んでいくんだ。

生きていくんだ。」

そう歌ってる気がして。

歌詞に絶望感や悲壮感がないわけじゃない、でも、尾崎の歌声でそれらを歌うと、悲しい歌がただそれだけではなくて、言葉にならない生への思いや覚悟、意志、尾崎自身も気づいてなかった、彼の神様から与えられた使命、みたいなものを感じるんだ。

うちの父は苦労人なので、尾崎みたいに見た目もよく賢く生まれ、不自由なく育ったくせにぐちぐち言う男は好かねぇ!といつも言い放っていたけどw、私には、総合的には、ぐちぐちネガティブ男子の歌には決して聞こえず、人並みに色々あるけど、みんな寄り添いあって、生きていこうぜ。

お前には俺がいるから、大丈夫だぜ。

尾崎自身はもうボロボロなのに、そんな、痛いほど優しい歌に聞こえるのだ(1000%主観)。


26歳から決して年を取らない尾崎。

彼の歌う姿とその歌声は、時代がたとえ変わっても、人に光を与え続けるのでしょうね。


日々の備忘録が、少しでも誰かの何かのヒントになれば…そんな裏テーマを持ってこのブログを始めました。読んでくださってありがとうございます。