人に見せたいファッションを身にまといたいだけ
コロナになって在宅ワークが広がり、人にどう見られるかを気にしたファッションから、自分が心地よくいられるファッションが求められるようになったという記事をよく見かける気がする。
私の場合も、そりゃあ最近は、いくら見た目が素敵でも、お腹周りを締め付けるタイトなパンツや、肌にチクチクと刺激のあるウールやアクリルなどの素材の洋服が着られなくなってきた。
でもこれは、在宅になる前からであって、単純に年齢のせいだと思うのよね。もうね、不快なものに対する耐性がどんどん無くなってきていて、とことんそういったものを排除したくなってきたからだと思う。
そして一方では、周りがなんと言おうと、流行とは真逆だろうと、好きなものは好きなままでいたいのだ。
それは、自分の考えを譲れなくなったと言うより、譲らない、と、自分で決断できるようになってきた、と言った方が正しいかもしれない。
私は大人になってからとてもファッションが好きになった。
自分に自信が無くて、絶対人より目立ちたくないのに、かと言って流行りに身を任せて同じルーズソックスとHARUTAのローファー、バーバリーのマフラーとラルフローレンのセーターを着たくなく、かといってかけ離れたおしゃれをする勇気も無くて、自己主張も中途半端だった10代。
彼氏が欲しくてモテを気にしてみるも、女の子らしいひざ丈スカートや小さいバッグを選べず、革ジャンやタイトジーンズ、ハイヒールばかり着ていた20代。
そんな迷子でこじらせ女子を脱却するため、30代では人の目を気にせず、徹底的に自分はこれが好きという直感だけを信じて選んだ好きなものだけを身にまとうようになり、すると不思議、内面からも自信があふれたからか、他人からは、おしゃれな人というイメージを持たれるようになった。
本当に大好きな物を身に着けているとき、私は心から
「このかわいい洋服たちをみんな見て!」
「この洋服のこの着回し、発明でしょ!」
と、自分のファッションを自慢したくなる。完全に自己満足なのは承知の上。でもそれはまるで、自分のこどもやペットを自慢するような気分なのだ。
外出が減った今、以前よりは確かに、一つのシーズンで何種類も洋服を持つ必要はないかなとは思う。そして、在宅勤務が増えてる以上、家で過ごしやすい洋服が以前より欲しくなったのは事実。
それでも、人に見せるための服、人に見てもらいたい服を私はこれからも着たい。高かろうが安くなろうが、自分が良いと思った物を着て街を歩き回りたい。
それは虚栄心とはちょっと違くて、人に見てもらいたいけど、人にどう思われようと関係ない。好きな服を着てご機嫌になりたい、そんな自分を楽しんでいたい。
ファッションの力を借りて、ただただ、自分自身をハッピーにしてあげたい。
自分のファッションを褒められたらそれはとても嬉しいし、さらに自分のことを好きになって、その分、他人にも優しくなれる気もするし、良いことづくめ。
さしづめ、世界平和なのだ。
ええ、飛躍している。でもね、間違っていないと思う。
とにかくみんな、自分の好きなファッションをして、みんなご機嫌でいようよ。
っていうお話。
日々の備忘録が、少しでも誰かの何かのヒントになれば…そんな裏テーマを持ってこのブログを始めました。読んでくださってありがとうございます。