2021年8月20日 執着は善のふりして顔を出す

上司の態度がパワハラと感じて辛い、という気持ちをnoteに吐き出してから、とても楽になった。

愚痴や不平不満なんて、言わなくて済むなら言いたくない。心も見た目もブスになる。しかし、不満を言う自分がいけないんだと心に溜めると確実に精神は病み、鬱になり、最悪のケース、自分か人を肉体的にも傷つけてしまう事件に発展する。なので、適度なガス抜きは必要。

頭がしっちゃかめっちゃかになるくらい辛い場合は、絶対早めにプロの力を借りて相談したほうがいい。近しい人に話を聞いてもらって共感してもらうのが必要な時もあるが、その場しのぎの傷の舐めあいになるだけで良い方向にならないどころか、肝心の問題に関して悪化させることもある。

自分のことを知らない人に客観的な目線で話を聞いてもらい、楽になるように導きのヒントをもらうことも必ず必要だから。

そして、誰にも知られていない場所、特に紙の日記に辛い想いを吐き出して、スッキリするならそれがよい。いつか解決したときに、こんなことで悩んでいたのか、と読み返した後、燃やして捨てたらきっとすっきりする(笑)。私の場合は今回はnoteだったわけど。

想いを吐き出して、冷静になって、思った。上司の言い方やり方は今でも腹が立つし悲しかったし許容できないけど、自分の中にも執着があった。

それは、彼女と楽しく仕事をしたい、という気持ち。

一見、これは何ら悪いことではないのだけど、優先順位って人それぞれ。

私は、無理やりにでも楽しく仕事をしようとすれば、いつしか本当に楽しいと感じるようになることが多く、アイディアも自由に出せる環境になって、それぞれの力が発揮できるようになる、と思っているから。

でもこれって、クラスで群れずに誰とも関わりたくないのに、仲良くしようぜと勝手に群がってきて、それを邪険に扱うと偽善を振りかざして勝手にあいつ和を乱すとか人がせっかく声かけてるのにとか、人を悪者に仕立て上げる自己中なクラスメートと一緒ではないか、と。

そしてこれは、紛れもなく執着だ。

執着はもはや、悪だ。

実際には、客観的にみても、その上司もチームメンバーと仲良く仕事をしたいと絶対思ってると思うが、向こうには、今その人間関係を構築してまず楽しむことよりもやらなきゃいけないと感じていることがあるわけで、それを邪魔すんなよ、と思ってるのかもしれない。

相手のコミュニケーション力に問題があるのは明らかだし、それで精神的ダメージを自分に与えてくることに関して私自身で何らかの防御を取ることは必要だとしても、相手の邪魔をする権利は私にもない。しかも、相手は私なんかが到底扱いきれないことに対応をしているに違い無いのは明らかだから。

自分の混乱した気持ちを文章に書きだすと、こんな風に更に整理もできる。

吐き出すって、特に書くって、すごく大事だ。

noteよ、ありがとう。

日々の備忘録が、少しでも誰かの何かのヒントになれば…そんな裏テーマを持ってこのブログを始めました。読んでくださってありがとうございます。