【プロローグ】旅行記と作者について
※これは2018年12月〜19年1月に書かれた文章です。予めご承知おきくださいますよう。
初めまして、私「アイガー・D=ザンネン」とネット上では名乗っております。(Twitter @Eiger_D_Sannen )
この度は私の旅行記をご覧くださいまして、誠にありがとうございます。
まずは自己紹介をいたします。どんな奴だ?と思われていらっしゃるでしょうが、
こんな奴です。
現在東京在住、25歳大卒ニートです。お金稼ぎたいです…。
なぜこうなったのか、私がどんな奴か、もっと具体的にご説明いたします。長くなります。
私は小学生から歴史が大好きで、高校からは世界史の面白さに目覚め、歴史で有名な大学の史学科に入り、近代西洋史のゼミに入りました。そして3年生の時の2013年、私は論文とワインによって、「オーストリア=ハンガリー二重帝国」に出会いました(厳密には帝国より君主国の方が正しいのですが、通りが良い帝国で通します)。
思い切って二重帝国についての説明は割愛します。wikiでもご覧ください。(旅行記本文で必要に応じて私に分かるかつ必要な範囲で解説します)
論文はゼミで読み発表することを課されたもので、それは理想と現実の狭間でもがき苦しみ結果グダグダになるという二重帝国の実に私好みの性質を示していました。
その論文↓
https://ci.nii.ac.jp/naid/130007539988
そのワインはサークルの仲間が宅飲みに持ち込んで飲ませてくれた、トカイワインでした。まさに甘露というべき味で、世界にはこんなにも美味い酒を作る国があるのか!という衝撃の事実を教えてくれました。
それは、二重帝国とはどんな国か?という好奇心となりました。そのモチベーションで研究を始め、サークルで遊び呆けていたツケを払いながら、大学の卒業論文も二重帝国についてのものを一応どうにか書き上げて、2016年3月に無事大学を卒業しました。
(卒論は4徹して〆切当日朝に出したのですが、これは死ぬと思いました。)
卒業直前には卒業旅行として第1次中欧旅行を楽しみました。オタクで言う聖地巡礼ですね。初海外なので、添乗員さんのいる団体ツアーに申し込みました。(グループとしてはぼっち)
現地に足を運び、文字と空想の世界だった中欧を体感することが出来ました。とりわけハンガリーの首都ブダペストの美しさに私は強く惹かれました。
さて、大学を出たので働き始めたわけなんですが、これが酷かった。
警備会社に入り、警備員として都心某所のビルで働くことになったのですが、これがまたブラック企業。ありえない拘束時間(MAX月400時間)と不規則な生活を強いられる勤務体系により、私の心身は完膚なきまでに破壊され尽くしました。
味覚がストレスで一時的に失われ、熱や動悸、息切れ、目眩、不眠、下痢、吐き気、頭痛、腹痛、倦怠感などありとあらゆる体調不良に見舞われました。判断力・思考力も極限まで低下していました。ひどい無気力でもありました。具体的な病名としては、自律神経失調症と、適応障害のち鬱ですね。
冗談でもなんでもなく死ぬ一歩手前でしたが、どうにかその会社からは7月いっぱいで脱出に成功します。
しかし体調は相変わらずボロボロで、転職はおろか日常生活すら出来ずに、完全に寝たきり生活となりほとんど植物人間となりました。
そんな天国から地獄の大波乱の2016年が明けて翌17年、メンタルクリニックを変えてみて、そこの催眠療法(怪しげに聞こえますが)と漢方薬の処方によって、ある程度病状は回復。日常生活が可能になりました。
仕事を辞めてしばらくして本来の私のお金は底をついたので、この頃からは亡くなった祖父から一部相続した遺産に手をつけています。
とりあえず先の事を考えられるようになった私の頭は
(中欧に行きたい…)
でした。卒論という地獄とブラック労働という地獄に挟まれた、この上なく甘美な一瞬。そこに戻ることを強く望むようになったのです。
かくして第2次中欧旅行が2017年6月に決行されました。しかしこれはあまりに拙速に過ぎたのです。
1年近い寝たきり生活によって体力が極限まで低下していて、かつ1人で行くにはとても情報面で準備不足で、旅行はそこまで楽しめませんでした。
この旅行での一番の収穫といえば、私が一番好きなチェコのビール「ピルスナー・ウルケル(Pilsner Urquell)」の醸造所見学に行けたことでしょうか。
なにより、気力体力を極限まで使ったため、終わってから体調がまた悪化して、またも寝込むことになってしまうのでした。自分は仕事はおろか楽しむことも出来ないのか?と失意のどん底にいました。今までのあらゆる恐怖や後悔と将来への不安や絶望に苛まれ、気が狂いそうでした。
1日20時間以上はベッドに寝たきりで、まともな食事は母が作ってくれる夕飯のみ(これがなかったら餓死してました)、汚い話で申し訳ありませんがお風呂も毎日入るのはしんどくて隔日だったり、さらに不眠と過眠で脳がやられ、運動不足で内臓も筋肉も血管も朽ち果て、ストレスで肌もボロボロになりました。今もきっともう長生きは出来ないと諦めています。
この期間、気力が全く湧かないので身体が重く、ほとんど身体が動かせなかった私にとっては、瞼を開けて指を動かすだけで外界と触れ合えるTwitterは救世主でした。
そんなTwitterでの縁で、17年の末にオフ会(現実=オフラインで会う)をする機会があったのですが、このオフ会が転機になりました。
そのオフ会の参加者は全員「推しの国」を持っていて、私以外の人々はその国の言語を使えました。旅行はもちろん留学の経験もあり、向こうの写真や民謡がいくらでも出てくるという猛者もいらっしゃいました。単純に、気が合う人と趣味の話をして頭をフル回転しながら美酒を味わうその飲み会はこれ以上ない楽しみでした。
私もなけなしの知識でそれなりに渡り合えたのですが、やはり自分の中欧好きはただの「かぶれ」に過ぎないということを痛烈に自覚して、まずは言語を身につけ、そして中欧の文化をもっと深く知り、「魂」のようなものに触れたいと意識するようになったのです。
二重帝国の旧領で使われている言語はあまりに多岐にわたりますが、やはり頭一つ抜けるのは支配者オーストリアのドイツ語。現在もドイツの経済的台頭により、第二言語として中欧では強いです。鬱で寝たきりの間も「また旅行したい」との一念で中欧観光の調べ物をしていても、ホームページが英語・ドイツ語・現地語の表記というところが多かったです。また、大学の卒論の時に一次史料を使いたくも使えなかったコンプレックスも首をもたげてきて、今や私の関心は
(ドイツ語やりたい…)
につきました。
(※私の大学の学科では当時第二外国語は必修ではない上に単位数の割が悪く、履修していませんでした。今は必修です)
重苦しい鬱はどこかに吹き飛んでいき、生来の強烈な気力を一部取り戻しました。
反動で一時的に躁になりましたが。
早速ドイツ語学校が通いやすい場所にあることを突き止めて、ちょうどじきに学期の境目というベストタイミングに当たり、授業に申し込みました。
これが私の通った学校です。本当に良いところです!
1回3時間を週2で少人数でネイティブの先生に会話を教えてもらうという講義と、週1で文法を日本人の先生に教えてもらう講義に申し込んで1月下旬から学習をスタートしたのですが、ここで運命としか言えないような出会いがありました。
そのネイティブの先生というのが、たまたま唯一のオーストリア人で、しかもご出身がバーデンというウィーンの郊外。私がたまたま第2次の旅行で行ったばかりの場所でした。またこの先生がキャラが濃い上に教え上手で、私はメキメキとドイツ語ぢからを身につけていくことになります(自分で言うな)。
教わるにあたっては、教わった内容を丸覚えすることよりも、上記の理由から「オーストリア人の先生のものの考え方や価値観を自分にインストールしてしまう」ことを意識してみました。ちょっと伝わりにくいかも知れませんが。語学の勉強方法として本来そこまで褒められたものではないでしょうが、そういう意味でも「先生」にしたいほどのお方だったのです。
ドイツ語を進める一方で、せっかちな私はすぐにドイツ語の成果を活かす中欧旅行にまた行きたくてたまりませんでした。
そこで目をつけたのが、毎年9月下旬〜10月上旬にドイツのミュンヘンで行われるビールの祭典「オクトーバーフェスト」です。
ミュンヘンはオーストリアからも近く一つの旅行として統合することは十分可能で、さらにここにはANAの羽田空港との直行便があります。何より私はビールが大好きなので、これは行くしかありませんでした。10月頭までドイツ語を頑張って学べばある程度モノには出来るだろうとの見込みを立てたのです。何より私はビール大好き。
次の第3次中欧旅行は、手配は全て自力でやってみて自分の糧にしたいと思いましたので、それも実行に移しました。ドイツ語もそのためです。まず航空券とホテルは迅速に押さえました。
また、前回の体力不足の反省から、次に備えて最低限の体力を養うことにしました。ドイツ語学校通学はそのためでもあったのです。実際、しばらく引きこもって寝たきりだったので社会性も低下していたので、そちらも回復させたかったのです。
そして次にやったのは情報源になってくださる人脈(コネ)を作ることでした。これはTwitterが物を言いました。特に強力だったのがこのご両名です。
・しゅにっつぇる さん(@schnitzel_san )
ウィーン(オーストリアの首都)在住が長く、二重帝国軍のBLを題に小説を書いていらっしゃる作家さんです。いわゆる貴腐人です。作品を拝読して感想を送って認知して頂きました。ウィーン在住で「聖地」が目の前にゴロゴロある強みを活かして凄まじいリアリティの風景の描写と、卓越した知識で軍服の精緻な表現に感動しました。純粋な史学畑から師匠らしい師匠もなく、独自に二重帝国について知識を得ていた私には、文学は未知の領域で鮮烈だったのです。
もちろんドイツ語ぢからは凄まじいです。
(※私はヘテロです。)
・本宮じゅん さん(@motomiyajun3 )
ハンガリーの首都ブダペスト在住の日本人の方です。Twitterをしつつも、メインはご自身のブログを書いて世に出すこと。
ブログの内容は大半がブダペストの様々なレストランの詳細な紹介で、とてもグルメなお方です。私も美味しい物は大好きなので波長は合うと確信しました。しかもドイツ留学経験もありドイツ語が出来る方でもあります。
このお二方をはじめ、多くのアカウントをフォローして交流を図りました。大きく分けると向こうの交通機関や政府などのアカウントや、海外旅行趣味者、同じ中欧趣味者といった感じです。本当に多くのことを学ばせて頂きました。
そして練りに練って出来上がった第3次中欧旅行のプランの概要がこちらです。
10/5 羽田→ミュンヘン🇩🇪(ANA機)
ミュンヘン泊
10/6 ミュンヘン
オクトーバーフェスト参加
10/7 ミュンヘン→インスブルック🇦🇹(バス)
インスブルック泊
10/8 インスブルック→ウィーン🇦🇹(特急)
ウィーン泊
10/9 メルク🇦🇹修道院、ドナウ川下り
10/10 ブラチスラヴァ🇸🇰日帰り旅行
10/11 ウィーン観光
10/12 ウィーン観光
10/13 ⑤ザルツブルク🇦🇹日帰り旅行
10/14 休養日
10/15 ④アイゼンシュタット🇦🇹、ショプロン🇭🇺日帰り
10/16 ウィーン→ブダペスト🇭🇺、ブダペスト観光
ブダペスト泊
10/17 ブダペスト観光
10/18 ブダペスト観光
10/19 トカイ🇭🇺日帰り旅行
10/20 グゥドゥルー🇭🇺遠足
寝台列車でプラハ🇨🇿へ
10/21 朝プラハ着、休養日
プラハ泊
10/22 プラハ観光
10/23 チェスキー・クルムロフ🇨🇿、チェスケー・ブジェヨヴィツェ🇨🇿 日帰り旅行
10/24 プルゼニュ🇨🇿日帰り旅行
10/25 カルロヴィ・ヴァリ🇨🇿日帰り旅行
10/26 プラハ観光
10/27 プラハ→クラクフ🇵🇱(鉄道とバス)
クラクフ旧市街観光
クラクフ泊
10/28 アウシュヴィッツ強制収容所見学
寝台列車でプラハ🇨🇿へ
10/29 特急電車でプラハ→ウィーン🇦🇹→ミュンヘン🇩🇪
ミュンヘン泊
10/30 ミュンヘン小観光
飛行機搭乗、羽田へ(ANA機)
機中泊
10/31 羽田着
帰宅
このプランに沿って旅行は決行され満喫していたのですが…先に申し上げておきますと、10月16日に祖母が急逝するというアクシデントが発生。急遽葬儀に参加するため撤収、10月20日をもって帰国しました。よって旅行の後半の日程は実際に消化することは叶いませんでした。
しかし無事健康かつ出来るだけ楽しんで帰ってきて、ちゃっかりキャンセルした帰りの飛行機から返金を受けたり、保険金を請求し損失を最低限にするなどしています。
葬儀では無事にお互い心から大好きだった祖母ともちゃんとお別れが出来ました。
なにより、旅行は満喫出来て一生の思い出になりましたし、自信がつきました!
また、後日談として、12月頭に行われた独検(ドイツ語能力検定試験)では無事にお目当ての3級(基礎レベル)に合格することが出来ました。
完全に自画自賛になるのですが、学習開始から1年足らずで3級に達するのは割と快挙です。
現在は二重帝国についての文学「ラデツキー行進曲」をまず日本語で読んでいるのですが、読み終わったら今度は2周目にドイツ語原文と日本語を併読することに挑戦してみたいと思います。著作権が切れているものなので、原文はネット上で無料で読めるのです。(しゅにっつぇるさんが教えて下さいました。ありがとうございます)
これからは行けなかったチェコやポーランドにリベンジに旅行にリベンジに行くか、20代のうちにワーキングホリデーでウィーンやブダペストに行くか、はたまた潔く再就職するか、今はこの悩みと戦ってまたちょっと鬱になっているところです。いずれにせよもうお金が無くなってしまいましたし、労働のトラウマを克服しなければならないのでバイトを渋々探しています。
ーーさて、私はこんな人間です。
次に、当旅行記についてご説明いたします。
基本的に先述の第3次中欧旅行(2018/10/5〜10/20)に沿って、1日単位で記事にして執筆します。このnoteは有料ブログですので、1日分で100円での販売を考えています。(上下する可能性もあります)
有り体に申し上げて、私は情報料が欲しいわけですね。
更新は早期投稿を常に心がけますが、不定期とさせて頂きます。番外編として為になる特別編も書きます。
私の見聞きした物事を開陳すると共に、なにより、この旅行記を読んだ貴方が同レベルの中欧個人旅行が楽しめるようになるだけの情報を提供いたします。情報のソースは最新の『地球の歩き方』や、様々な公式サイト、必要に応じて私の持つ日本語の歴史書籍、なにより私の実体験となります。
実際には消化出来なかった旅行後半についての情報も、プランでの1日単位で記事にまとめて投稿します。こちらは半額の50円または無料の予定です。
上記の通り中欧には3回行っておりますので、メインは第3次の情報となりますが、肉付けで第1次や第2次の時の体験も必要に応じて加えます。
ですので一度旅行体験の時系列を整理しておきます。
・第1次中欧旅行…2016/2/27〜3/5
初海外で大学の卒業旅行。HISの添乗員さんや提携の現地会社のガイドさんが同行・解説してくれる団体ツアー。ブダペスト、センテンドレ、エステルゴム 、ウィーン、チェスキー・クルムロフ、プラハを旅行。
・第2次中欧旅行…2017/6/21〜6/28
またHISだが、今度航空券・ホテル・特急券以外は自由のフリープラン。完全ぼっち旅行。
ブダペスト、ウィーン、バーデン、プラハ、プルゼニュを旅行。
・第3次中欧旅行…2018/10/5〜10/20 ※計画では31まで
旅行会社を介さない個人旅行。旅行先については繰り返しになるので上記プランをご参照ください。誼を通じた現地在住の日本人の方のご協力も頂きました。
最後に大切なことをもう一つご説明いたします。
イラストは友人の しょうごはん 氏(@fritz_weltgesch )からの頂き物です。
日頃とは改めてまた特別な感謝を。
サムネの画像にサイズ制限があって、さっきは全部載せられませんでしたが、こちらがフルサイズです。
私は二重帝国共通軍の竜騎兵の軍服ですね。
同じく軍服(参謀将校のものです)美少女が描かれていますが、これは「ウルケルちゃん」という、私原案・彼がイラストの、チェコが誇るビール「ピルスナー・ウルケル」(先程少し触れましたね)の二次創作萌え擬人化キャラクターです。なりきりTwitterアカウントも作りました。(@Urquell_Chan )
最高に美味しいビールであり、今は日本のアサヒビールの傘下になっているので是非然るべき所で飲んでみてください。(ダイレクトマーケティング)
もちろん実際の旅行には私1人で行っています。
【重要】公式の商標の二次創作物の彼女が入っているイラストから収益を得るのは法的にアウトであるため、彼女が入っているイラストの部分は無料で公開いたします。あくまでファンアートなので。
それではお待たせいたしました。当旅行記をお楽しみくださいませ!
本編1日目↓はこれとほぼ同時に公開しました。是非合わせてご購読くださいませ。
こちらは完全な寄付金となります。 もし殊の外お気に召して頂けました場合のみで構いませんが、頂戴したお金は大事に使わせていただきます。