今日が終わる前に昨日の夢を見る

自分の興味があるものごとにさえ無頓着になってしまったのはいつからだったろうか。
夢を追うのが怖くなったのは、
「お金にならないから」とか、
「ちゃんとした将来のことを考えろよ」とか、
そんな祖父母や父親からの呪いの言葉が枷鎖になったからなどと理由にしたくはないが、
それでも夢を追うのが怖くなっていた自分がいた。


このまま一生バイトで生活費を稼いで、
養成所にはお金を納めて、
クレジットカードはリボ払いにして、
実家だからと甘えて自由な時間作って、
その度に白い目で見られる気がして、
それでも結果は出なくて、
その内自分の火が消えて無くなっている感覚に気づいて、
同年代の人間はちゃんと恋愛を経験して、
定職に就いていて、
同棲をしている恋人を守るための努力をし、
その差が2年間、3年間と開き続けるうちに、
自分が今何をしているのか、何のために努力をしているのか、
これが自分にとって将来何の役に立つのか、
自分にとっての幸せは何なのかと考えたとき、
あれだけしがみつこうとしていた「何か」は、
自分で「趣味」と言えてしまうくらいには心の整理をしていた。
だから今、転職して零からのスタートを切っている。

夢を追う人を否定はしていない。
ただ、心のどこかでこの人は果たしてこのままで良いのかと邪推することがある。
夢を追うのは辛くないか、ただしがみついて後戻りできないだけなんじゃないか、誰かに迷惑をかけてないか、結局は諦めるんじゃないか。
確実に大きなお世話である。誰かが反論したら秒で頭を下げるくらいの。

ただ、それは尊敬だ。
自分が消してしまった火の、眩くても、微かでも、そこには光がある。
僕はそこに薪をくべる役でありたい。
自分が培ってきた経験を薪にして、
その人の活躍を見るためのお金を薪にして、誰かの火を眺め続けていきたい。
だから、文字通り水を差すことになってしまった駄文はこの辺で指を止める。
三つ言えるのは、決して夢追いを辞めたことに後悔していないこと、選択は不正解じゃないこと、育った環境は恨むことばかりじゃないこと。

今日が終わるまでに、昨日まで見た夢の続きを見たい。
noteには、まだまだ下書きが書き溜まっている。

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