イエロー・イエロー・ハッピー(3)

* * *

はあ。
溜息を着くと同時に、相談所の自動ドアが開いた。
とりあえず、死ぬにも意外と金がかかるのが分かっただけでも来た意味があると思うしかない。
そもそもどうやって死んだら良いか無料で相談して、その後もなんとかしてもらおうとするなんて虫が良すぎた話だったのかもしれない。

某県の山奥に長いこと放置されている廃墟があって、管理会社が既に存在しないから警察の捜索が遅れる、というところまでは身を乗り出して聞いていた。
しかし、楽に死ねるためにはこんな薬があって、どうやったら入手出来ます、のような説明は一切なく終わった。一度自殺教唆の報道があってからかなり規制がかかったらしく、詳細な死に方は教えてもらえなかった。
他に聞けたことと言えば、理想の葬式だとか、どこの斎場が良いかだとか、そのためには百数万の費用がかかるとか、自殺なら保険は適用されませんとか…。基本的な社会常識と、誰もが聞くような終活の所作だった。

室内は冷房が効いていたので汗をかくことはなかったが、外に出るとジャケットを着た身体は急に暑さへの拒否反応を示していた。自分の心の温度感とは対照的に、雲一つなく空は太陽の直射を許していた。今日も都内は今夏最高気温を更新していた。
このまま身体が冷える感覚があれば、明日の会社を休む理由にはなったが、身体は悔しいくらいに健康だったので、俺はそのままジャケットを脱ぎ、折り畳んで腕にかけた。
帰りにせめて、もう何度もやってることだが、「楽に死ねる方法」で検索した。結果は同じで、厚生労働省の自殺対策センターへの電話番号が表示されるだけだった。

はああぁぁ。
心内の声が口から出たら目立ってしまうから、この深い溜息は聞こえないままでいい。
死ぬのなら、誰かを庇って人の役に立って死ぬか、誰にも知られないところでひっそりと、あっさりと死にたい。
しかし、現実は目の前で事故が起こるわけでもなく、せいぜい廃屋の物件紹介をされただけである。
もうどうしようもなくなったらそこで液体洗剤でも飲んで死のうか。死ぬイメージがなんとなくついたことで、ほんの少し安堵感が湧いた。
後ろ向きなことを考えているのに明るくなれるのは皮肉な話だと思った。

僕はどう死ぬか。
それ以外考えないで、今日は帰路を辿った。

* * *

駅まで戻ってくると、ここに着いた時には居なかった路上ミュージシャンが歌っていた。
大体の人はそのまま通り過ぎて駅に向かって行くが、数名は立ち止まって手拍子をしたり、動画を撮りながら聞いているお客さんもいる。
俺も例に漏れずその場を通り過ぎようとした時、その歌声に急に耳を掴まれて足が止まってしまった。
その歌に耳をすませてみるとーーー。

(続)


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