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愛するクラブがくれたもの【2】

V・ファーレン長崎を愛するサポーターの方からお話を伺い、応援することで得たもの、楽しさを多くの人に広める「愛するクラブがくれたもの」。
第2回は匿名の女性、仮名「匿名ママ」さんよりいただいた、息子さんにまつわるお話です。

※息子さんより許可をいただいたうえで掲載しています。


学校に通えなくなった息子

V・ファーレン長崎がくれたもの…それは息子の「未来」や「夢」といっても過言ではないかもしれません。

私の息子は中学3年生の5月中旬頃から、少しずつ学校に行きたがらなくなりました。
中学受験までして入学した学校で勉強はなかなか難しかったようですが、それまでは小学生の頃から入りたかった部活を楽しみ、学校外でも友達と遊んで過ごしていた、ごく普通の子でした。
最初は単なるさぼり癖かなと思い、無理やりにでも行かせようと何日か試みましたが、事態は悪化する一方。だんだんと学校に行く日は減っていきました。

学校側は配慮をしてくださり保健室登校を勧めてくれましたが、息子はそこにすら行く気になれず。
いじめにあっていたとか嫌なことがあったとか具体的な理由があったわけではなく、ただひたすら「学校にいきたくない」「学校の他の子に自分を見られたくないし会いたくない」の一点張りでした。
そのような日が続き、私は職場に無理をいって勤務時間を変更してもらい、他の生徒たちが登校したあとに学校の保健室まで一緒に連れて行き、先生と話をして出勤をする、という日も。
保健室へ登校できた日も授業を受けることはなく、読書をしたり養護の先生と話をしたりして過ごし、昼前には他の子の目を避けるように自宅に帰ってくるという流れでした。

両者とも限界で、受診した小児科

ほぼ毎日部屋に閉じこもってばかりだったので、夜にドライブへ連れ出したり、平日に休みを取り息子が望む場所に連れて行ったり。

匿名ママさんより提供

一方ではその分仕事が進まず、休日出勤をしたり仕事を持ち帰ったりと、家事・仕事・育児のバランスが崩れ私の心身にも限界がきていました。
それでも息子の心がよくなることはなく、そのうち普段の会話に「命」についての内容が出てくるように。
このままではいけないとスクールカウンセラーへ医療機関の受診を相談すると、郊外にある小児科を勧めてくれました。
そこは小児科である一方で、思春期の生活における相談やメンタルに関する疾患について相談できる先生がいるとのこと。早速予約し、受診しました。

救われた先生の言葉

受診すると先生からは「まず、しっかり寝ることと食べることは必ず守ってください。それだけは約束です。その代わり今は、したくないことはしなくていいし、行きたくなければ学校にも行かなくてもいい。学校に行かなくてもあとでどうにかなる。お母さんも辛かったですね。今はまず、本人のやりたいことをさせてください」と言っていただき、私にとってその言葉はとても嬉しいものでした。

不登校になったばかりのころ、誰かに相談したくて夫や実母に話しました。でも、2人から返ってきたのは「甘やかしすぎ」という言葉。
私の育て方も原因だと指摘されました。確かに一人っ子で甘やかしている部分はあったと反省していたものの、その時の私にとっては本当につらい言葉でした。
だからこそ小児科の先生の言葉にとても救われましたし、「私がこの子を救わないと」とより強く思いました。

息子からのリクエスト

そこからは本人が行きたいといえば日帰りで熊本へ遊びに連れて行ったり、毎晩市内をドライブしながらできるだけ楽しい話をしたり…。

匿名ママさんより提供

その中でも小学生のころに初めて行ったV・ファーレン長崎の試合観戦が楽しかったらしく、何度かV・ファーレンに関するリクエストがありました。そこからは仕事を休んで一緒になごみ練習場での公開練習を見に行ったり、練習がOFFの日でもただグラウンドを見に行ったり、試合日ではなく誰もいないトラスタに行き周辺を散歩したり。

そんなある日、公開練習後のファンサービスでのこと。
息子がファンだった外国籍選手に写真を撮ってもらったところ、その選手は「いつもありがとう」と息子に声をかけてくれました。
選手からすれば何気ないひと言だったと思いますが、息子はこの出来事にとても感動した様子でした。

V・ファーレンのおかげで抱いた夢

それから息子はV・ファーレンについて調べるようになり、どんどん夢中になっていきました。

匿名ママさんより提供

息子と夫とで試合を観に行きサッカー談義で盛り上がるようになったり、2人でサッカーゲームをしたりすることで、息子は徐々に明るくなっていきました。
そんな時、息子がふと私に言いました。「将来、V・ファーレン長崎で働きたい」と。
全く知識がなかったので私はそれがどういう世界なのかは分かりませんでしたが、息子が将来について考えるようになったことに、少し安心しました。中学校もなんとか卒業でき、息子は自分の意思で他の高校を選択し、新たな道を進むことを決めました。

高校生になると、1人でトラスタのゴール裏へ

高校でも入学当初こそ休む日もありましたが、徐々に先生方やまわりの友達と仲良くなり、生徒の心のケアを大切にしてくれる学校だったこともあり、少しずつ先生や友達と接する楽しさを感じてくれるように。
また、高校生になると1人で公共交通機関を乗り継いで試合観戦に行き、ゴール裏で応援するようになりました。
そして、帰ってくると「凄く楽しかった!」と目を輝かせてその日の試合について話してくれるのです。
試合時のフラッグベアラーやエスコートキッズにも応募し、当選した際には選手と一緒に並んで入場。
選手から温かい言葉をいただくなど、いろいろな経験をさせていただきました。自宅にずっと引きこもっていた、あのつらい日々を思い出すと嘘のようでした。

息子とともに、V・ファーレンサポーターに

そんな息子を見ているうちに、それまで送迎だけしていた私も『いったいどんな風に楽しいのだろう』『息子をここまで復活させたパワーは何なのか』と気になりだし、ゴール裏へ行って観戦することにしました。
当時の私にとってゴール裏は少し怖いイメージもあったのですが、大旗が波のように掲げられる様子がとても印象的だったので、1度目はその近くで観戦。

匿名ママさんより提供

その次の試合では、事前に息子からチャントを習っていよいよ中央部へ。
一生懸命声を出して汗をかきながら応援する息子の隣で、自分もいつの間にかバンデーラを肩にかつぎ、大きな声を出し無我夢中で応援していました。

応援をとりまとめるコールリーダーの方、太鼓のタイミングをずらすことなく一生懸命にたたく方、周りでサポーターを鼓舞する方、手書きのチャントの歌詞を高く掲げる方。
チャントにあわせてフラッグを振り回すサポーター、タオルを力強く広げて応援するサポーター、声を枯らしてまで応援するサポーター。
なにもかもが新鮮で、でも誰もがV・ファーレン長崎の勝利を願い、選手の後押しをしようと必死に一生懸命応援していました。

それは観客席だけではありません。ボールを必死に追いかける、ゴールを必死に守る、時にはファウル覚悟で相手を止める選手たち。
選手もサポーターもひとつになってただひたすら勝利を目指し進む姿に胸が熱くなり、いつしか私までV・ファーレンに夢中になっていました。今では試合に勝っても負けても、試合後ゴール裏に歩いてくる選手を目の当たりにするといつも感動して涙するほどです。

見つけた「居場所」

息子は今でも将来V・ファーレン長崎で働きたいと、裏方でもいいからV・ファーレン長崎に関する仕事に就きたいと言っています。息子はV・ファーレンのおかげで、自分の「居場所」を見つけたのです。
現在は息子とシーズンチケットを購入し、ホームゲームではほぼ毎試合、ゴール裏の中央で応援しています。
息子は来年、大学進学のために長崎を離れる予定です。今季はおそらく、一緒に観戦できる最後のシーズン。
近場のアウェイにも参戦し、息子とたくさんの思い出を作るつもりです。そして、もちろん今シーズンの最後にはJ2優勝、そしてJ1昇格という最高の思い出を作ります!

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