カネに煩いと嫌われる?

何かにつけてカネだとか、きちんとしろとか煩く言ってると嫌われる

そんな風に言われた経験がある人、いらっしゃるでしょう?

へんにクソ真面目な私もよく言われましたよ。

けどね、このように「カネに煩いと嫌われる」と言ってる人こそが、カネにルーズな人だったり、カネに汚い人だったりするんですよ。

こういうことを言う人は主語を大きく装って、まるで「みんなから嫌われる」ように思い込ませる言い回しをしてきます。

ここで誰に嫌われるの?と質問を返してみたことはありますか?(私は無いですが)

実は「嫌われる」の主語は他でもない、それを言い放っている本人の気持ちだけに過ぎないんです。

この段階で早めに結論を出しておきましょうね。

「カネに煩いと嫌われる」と言っている張本人には嫌われてしまった方が良いのです。

「カネに煩いと嫌われる」とのセリフは、カネのことを細かく聞かれると困る人の口からしか出ない言葉なので、先にカネの話ができないだけなのです。

こういうことを言う人達に好かれてしまうと、次からもカネの話を先にしない案件(ノーギャラ)が必ず舞い込んできますよ。

きっとスケジュール帳もビッシリ埋まって、あたかも売れっ子になったような気分になれるかもしれませんが、それではヤリガイ搾取の被害を受け続けてしまうだけです。

その種の人達に好かれたとしても、お金が動くビジネスの輪の中には永遠に入れませんので、お金の話を先にしたことで嫌われてしまうような相手であるなら、その人との縁を大切にする必要ありません。

いつもこのnoteで話している著作権、JASRACの話しでもいつもそうなんですよね。

お金の話しが絡むから嫌われてしまうだけなのですが、JASRACが嫌いな人は何かと理由をつけて楽曲利用にお金を払いたくない傾向の人たちですから、その種の人には予め嫌われてしまった方が好都合なのです。

日本ではミュージシャンやスポーツ選手などで「プロ」の冠がついているだけで一目おかれてしまったりしますが、音楽に限らず生業として顧客から対価を頂戴して商品・サービスを提供するのがビジネスですから、法治国家の貨幣経済で報酬を得て生きていくことができている人は全員がプロで当たり前です。

提供者側が求めている値段に顧客が納得してくれたなら貨幣との交換が成り立つのです。

「プロ」という冠をつけるよりも、まずは自分のやっていることがビジネスである自覚と責任を持つこと、同時に他人のやっている音楽もビジネスであると評価することが約束できるのであれば、同じ世界で生きていくことができる同業者になれるんだと思います。

熱い想いをたくさん並べて「芸術・文化・音楽はカネじゃない」と綺麗ごとを語りたいなら好きにすればいいですが、他人のやっていることに対して勝手に「カネじゃない」を当てはめようとするなら、それは略奪的で卑しい発想じゃないでしょうか。

相手のやっていることもビジネスだと評価できる人ならば、自分のやっていることもビジネスだと評価されるのです。

それで初めてプロになれるんだと思いますよ。

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