私が一番「一緒にいてよかった」と言ってほしい相手は
「一緒にいてよかった」
そう言ってもらえる人でいたいと思ったのは、いつからだろう。
「人に喜んでもらいたい」
「自分のためはさぼっちゃうけど、誰かのためなら頑張れそう」
褒められて伸びるというか、感謝されて伸びるタイプの私は、ずっと誰かにとって一緒にいたい人でありたかった。
これを読んでくれているあなたも、誰かに「ありがとう」とか「いてくれて助かったよ」と言われたら、たいがい嬉しいんじゃないかと思う。(もちろん言い方とかタイミングとかあるけどね)
私もしっかりとその一人で、持ってる人がいると助かるよなぁと思って、全然使わないハサミとか絆創膏とか充電器とかを持ち歩いて、いつもカバンが重い。自分が助かってる時もあるからいいんだけど、誰かが困った時に助けになれたらいいな、と思ってする行動って、結構多いなと思う。
感謝されたり、しっかりしてるねって言われたり、信頼されたいという気持ちがないわけではない。むしろ全然あると思う。下心。
でも、ただ単純に、役に立てたら嬉しいって気持ちもあることはたしか。
普段の行動でも、自然と「一緒にいてよかった」と言われる存在でありたいという気持ちが根底にあった。
でも、誰かって誰だろう?
転職を視野に入れ、今後の自分の人生をどう生きていきたいか改めて考えた時、ふとそこに疑問を持った。その瞬間、急に自分の中の何かが崩れたのがわかった。
仕事で会議をする時。友だちと話す時。電車に乗っている時。私は誰にとって一緒にいたい人になりたいのだろう。
1対1だったら、"目の前にいる相手にとって" でいいかもしれない。でも、複数人の時は?
Aさんにとってのいてよかった人が、Bさんにとってのいてよかった人とは限らない。ということは、永遠にみんなにとっての「一緒にいてよかった」人にはなれない。
相手に合わせて動くことが楽だった私は、この当たり前の事実に気づけていなかった。衝撃的だった。何を指標にすればいいのかわからなくなった。
誰からも好かれる人はいない、みたいなこんな話、頭では理解していたけど、全然わかっていなかった。
どうしよう。どの方向に進めばいいんだろう。
数少ない人生の軸の一つが、がらがらと崩れていった。
そういえば、よく私は自分の発言や態度を受けて相手がどう思うかを考えすぎてしまうことがある。
例えば、会議の中で私が積極的に発言をしたら、Aさんには「場を和ませてくれて助かった」と思われるかもしれないし、Bさんには「あの人は自分の意見を通したそうだからいいや、黙っておこう」と思われるかもしれない。
私はAさんにもBさんにも話しやすい雰囲気を作りたいのに、どうすればいいかわからなくなってしまうのだ。
うーん。私はいったい、誰に一番「一緒にいてよかった」と言われたいのだろう?
家族、友だち、恋人、上司、それとも、今日初めて会った店員さん?
いや、違う気がする。自分が大切に思っている人にはもちろん言ってもらいたいけれど、今日しか会わない人でもないがしろにしていいわけではないと思う。
誰に当てはめても腑に落ちなかった。みんな四六時中一緒にいるわけではないし。
そりゃそうだった。私が一番「一緒にいてよかった」と言ってほしいのは、
誰とどんな状況でいても、いつ何時も絶対に一緒にいるのは、
他の誰でもなく、私だった。
私は、「私が一緒にいたい人」になりたいのだ。
AさんにもBさんにも思った通りには伝わらないかもしれない。もしかしたら、その場の誰のためにもならないかもしれない。
けど、私は私がその場にいてくれたら嬉しい人になろう。
私だったら、誰かが話しだしてくれると発言しやすくなる。それなら、同じ思いの人がいたらその人が少しでも話しやすくなるように、私から話そう。
基準さえはっきりさせておけば、「でもあの人はこう思うかな…」と考えすぎて足が止まることは減らせそうな気がする。
だって、最後は "私がどう思うか" で決めるから。
もちろん、自分の発言や態度を受けて相手がどう思うかを考えることはやめたくないし、自分のいいところでもあると思う。
でも、それが足かせになってしまうのは、なんだかもったいない。
自分の長所を最大限に活かせるのは自分だと思うから、一緒にいる人にも気を配って、自分の「こんな人がいてくれたら嬉しいな」を信じて行動してみよう。
もし私以外にも「誰かの役に立ちたいけど、それって誰なんだっけ」と立ち止まっている人がいたら、まずは自分の役に立ってみませんか。
あなたは、あなたが一番一緒にいたい人に近づけば、ちょっとだけ明日が楽しみになるかもしれません。
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