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suisuisunameri
きらいな人を、かんがえてしまうとき。
きらいな人には心を開いてはいけない。ぜったいに。少しでも、そのドアを開くと黒黒としたものが、純粋だった空間をやがては満たしてしまう。
わたしはさっき、またやってしまった。結構な頻度でやってしまう。そのドアを開いてしまう。
ドアを開いてしまうとは、心への侵入を許すことだ。例えば、じぶんの大事な話をしてしまう、とか。
それに対し、あいては、ろくに反応をしなかったり、余計な反応をしたりする。
わたしはそれに反応し、いやな思いを抱えつつも(いつもは言い返すのだけど)今日はなんとか帰還した。じぶんの部屋に。
ふしぎだ。関わってしまうのだから。
あいてが母親だからなのか。
もう、うれしいこともたのしいことも、
彼女に話してしまったら、
いやな気持ちに変わってしまう。
それを学習しないばかは、わたしなのだ。
うれしいことがあったときは、
日記に書こうと思う。
きらいな人とのあいだには、適度な距離が必要だ。
そして、それを守ってくれる「なにか」をわたしはすでにもっている。
それは文章を書くことだったり、
話を聞いてくれる恋人だったり、
お気に入りの香水だったり、
知らない音楽だったり、
いろいろ。
それにわたしは、きらいな人を思い出すよりやるべきことがたくさんある。やりたいこともたくさんある。
そこからまずは思い出そう。
生活をしよう。
生きるためにはたのしい方へ、みずから進んでいかなければ。
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