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小説を読むに感情移入は必須なのか

小説を読む醍醐味は、作品に感情移入にして自分の感性と向き合うことです。自分が言葉にできない、あいまいな感情や気持ちの輪郭を捉えるのも楽しみです。
だからこそ、小説にはいかに感情移入できるかが求められています。感情移入できなければ、抽象的な感覚が具体化されてなければ、その小説は心に残らないです。

小説を楽しめない、または読み始めたばかりの方がよく言うのは、自分がその小説に感情移入できないことへの負い目です。
「あんまり感情移入できないんだよね」「どう読めばいいか分からない」とかが多い感想ではないでしょうか。

ぼくは感情移入できるタイプ(マンガやアニメなどにも感情移入するタイプ)なので、感情移入できない方の感覚は分かりません。ただ理解はできます。自分がよく分からないものを楽しめる人は、そう多くはないからです。受験勉強とかまさにそれ。
という前提の上で思いますが、ぼくは別に感情移入できなくてもいいと思っています。すべての人が感情移入できる小説なんて、存在しないからです。

小説は感情移入して読むもの。

この固定観念も、小説を読むのに悪影響を及ぼしています。感情移入できるものはできるし、できないものはできない。すごくシンプルな考えです。
もちろん、感情移入できるならそれに越したことはないですが、ぼくはその陣営に属しているため、どう言葉を取り繕ってもポジショントークにしかなりません。
けど、感情移入しなきゃ小説は楽しめない、と思い込んで逆に読めなくなるのは、本末転倒な気がします。

どーしても感情移入できないなら、いっそのこと、終始客観的に読めばいいんです。たとえば、その小説に登場する人物たちの行動に対して、自分だったらどうするかを考え続けること。それからしか得られない知見や感覚だってあります。ぼくも多少は考えたりしますが、考える回数は少ない上に浅い思考しかしてません。
感情移入できる勢と感情移入できない勢(客観的に読める勢)で意見交換すれば、その作品が立体的に捉えることができます。

感情移入できないことは、短所でも欠点でもないです。苦手に思うなら、別に克服する必要なんてありません。客観的に読める可能性が秘められているので、その感性を磨けばよいと思います。
数撃ちゃ当たる論に沿えば、いずれ感性移入できる作品に巡り会えます。だって、誰もが感情移入できない作品だって存在しないんですから。

蛇足ですが、小さいころに読書好きだった方は、感情移入しやすい傾向があるかなぁと思っています。経験値が低いので、あらゆることが新鮮に感じれますからね。

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