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「国民」はどう生まれる?

気づけば年号が変わり、

そして令和も二年になっている。

こうした元号の変更や、新天皇の即位の儀式を見ると人々は「日本」を感じることが多いかもしれない。

そしてその瞬間に彼らは「国民」という姿を作り上げ、露わにするのです。

しかし、このような「国民」とは一体どのように生まれるものなのでしょうか・・・?

近代

近代国家が登場するとき、産業化社会・都市化によって土地からのルーツを失った「大衆」が生まれ、存在意識の揺れと「新たな伝統」の必要性のなかで、いかに「国民」を創造するかが課題となりました。(井谷聡子、2019、166)

近代の特徴の一つに、産業革命というものがある。

しかしここで注目したいのは、この革命の中身ではなく、この革命に伴うように起こった人々の移動だ。

産業革命は、技術の革新、効率性、合理性、などが求められる。

さらに当時、囲い込み(エンクロージャー)によって、農地で農業に従事していた人々は都市部に流れることになる。

さらに18~19世紀は交通革命がおこり、モノや人の移動が速くそして、大量に行えるようになった。より一層、人々の都市への移動が加速していく。

つながり

人々が都市へ移動する、

ということは元々いた土地との縁が姿をひそめるということになる。(この趣旨の内容は、引用にもありましたね。)

今までは自分が所属していた集団(家族、共同体、組合)が彼らの存在意義や自己を確固たるもにしていたが、そういったものが無くなった当時は、彼らは新しい存在理由を求め始める。

そこで「国家」というものが出てくるのだと思います。

元々存在したつながりを失い、さらに都市という「私個人」の空間が奪われた公共空間のなかで役割を果たすのが

このより大きなまとまりとしての「国家」ということになると思います。

その国家に自分らしさを求め始めるのが「近代」という時代なのではないでしょうか?。



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引用文献

2019、「2018年平昌冬季オリンピックの実態」、『で、オリンピックやめませんか?』、天野恵一,鵜飼哲、亜紀書房




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