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人或いは人類を助けるという行動の正当性について。:ウルトラマンメビウス


「ウルトラマンメビウス」第九話:「復讐の鎧」

を見ていた時に、どうしても考えさせられるようなシーンをこの目は、確かに捉えていた。

ボガールという怪獣にメビウスが対処していた時に、突如現れたハンターナイトツルギは、このように云うのである。

「どけ! そいつは俺が倒す!」

メビウスは、

「よせ! ボガールを爆発させたらこの星の多くの命が犠牲に・・・。」

と、ツルギの攻撃を制しようと試みる。

だが、ハンターナイトツルギは、メビウスの発言など毛ほどにも思っていない様子で、

「だからなんだ。今こいつを倒さねば、もっと多くの犠牲が出る。数え切れない命が喰いつくされるぞ!」

と吐き捨て、ナイトビームブレードを顕現させる。

ここで二人のウルトラマンは、互いの正義の為に闘おうとするのである。一方は、地球人を守るため。一方は、かつて侵してしまった過ちを二度と繰り返さぬように、より多くの命を救わんと、その根源的破滅をもたらしうる、今、そこの敵、ボガールを倒すため。

さて、この二人のどちらがより正しいと言えるだろう?

ここは地球なのだから、地球を守るという使命を預かった勇者であるメビウスの、地球を守るという役目がまず第一に優先されるべきか。

それとも。地球に存在する以上の、途轍もない数の生命を救わんとするという行動が、優先されるべきか。

例えば、これは今のコロナ禍の状況においても、同じことが云えるだろう。

今あなたは、いわば「メビウス」と同じ立場にいる。つまり、目の前の困っている人が苦しそうにしている。今にも卒倒しそうなその人は、ひどく苦しみ、息も上がり、顔の色からでさえも、症状の異状さがひしひしと伝わってくるような。もしかしたら、彼は、あの例の感染症に羅漢している恐れがある。

今、この人を助けるだろうか。あなたは、この人を助けようとするだろうか。

このような状況で考えられる別の立場が、「ハンターナイトツルギ」の立場である。自分が彼を介抱することによって、自分が羅漢するかもしれない。自分がそのまま帰宅なぞしてしまえば、家にいる家族に移してしまうかもしれないのである。よって、彼を助けずに、彼を助けることによって増加する大多数の感染者を助ける可能性を選ぶか。

今ここで救う命?

それとも、その人を救うことによって被害を被る蓋然性のある人たちの命?


多を助けるために、少数を切り捨てるか。少数を救うがために、多数を危険にさらすか。もちろん、実際の状況では、分かりやすい二項対立はそうあるわけでは無いだろう。しかしながら、丁度良い選択肢が最初から存在していることもそうあるまいよ。


人を助けるのは「善い」ことか。一切の躊躇なく、他を救わんがために、自らの命を賭すことができるのは、そりゃカッコいいだろう。でも現実は漫画じゃないね。何かをするためには、往々にして何かを犠牲にしなければならないということがある。


人を救うことは、常に正当化できるのか。

たとえそれが、多数を危険にさらそうとも。たとえそれが、幸せな家庭を崩壊させしめようとも。例えそれが、大切な人との約束を裏切ることになろうとも。例えそれが、自分を殺すことになろうとも。

人類を救うことは、常に正当化できるのか。

例えそれが、動物を苦しめようとも。例えそれが、この地球を犯そうとも。例えそれが、数多の生命の可能性を奪おうとも。


殿にはまだよく理解し難いけれども。




今日も大学生は惟っている。



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引用

TBS.ウルトラマンメビウス 第九話 「復讐の鎧」.2006年6月4日放送




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