フランス語日記⓬:Back to the future.


以前、「未来は存在せず」という記事を書いた。

過去が独立した時空間を作る理由については書いているのだけれども、

では

なぜ、未来時制は、zone3のような、独立した時制を持たないのかについての理由の考察をしていなかった。

これに関連して、偶然興味深い文章を発見したので、引用をしながら、考察をしたいと思う。

ところが、未来は私たちの背後にあって、見ることができない。その見えない世界に向かって、私たちは後ろ向きに背中からこわごわ進んでいくことになる。(紅野謙介2020、5)

なるほど、未来が背中にあると考えれば、非常に納得がゆく。

ということは、私たちが捉えることのできるものは、「現在」と「過去」のみ。

これは、フランス語の「現在」と「過去」しか独立した時制を持っていないという考えと見事に一致する。

加えて、私たちが一般に「未来」というものを意識する時、自然と「前向き」に捉えがちになる。

これは文字通り、「前を向いている」ということであって、積極性を持ち合わせているというわけではない。

しかし、引用文はその反対。つまり「後ろ向き」。

畢竟、私たちが惟う「未来」は、過去や現在に基づいた推定や推測の域を出ないもの。希望的観測にほかならない。

そういえば、

僕のヒーローアカデミアに出てくる、「サーナイトアイ」というヒーローは、経験や知識を重ねて予測することの重要性を説いていた。未来はいずれにせよ、今や経験の延長線上に違いないのだろう。


でも疑問に思うことがある。未来からやって来た人は、未来を知っているということになる。

それは、現在から見た「未来」という確立した時空間が存在するわけで、推測ではない。その人たちが使うフランス語の表現は、どうなるのだろう?

その場合も、未来は独立した時空間を持たないのだろうか?

やはり疑問はなかなか潰えない。


一つ言えることは、未来は後ろ向きに考えるほうがいいね、ということだな

今日も大学生は考えている。

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引用文献:紅野謙介. (2020). 国語教育 混迷する改革. ちくま新書

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