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フランス語日記(多分⓭):「私たちは何人ですか」に"le"を

フランス語には

「Nous sommes le combien?」という表現がある。

自然に訳せば

「今日何日だっけ」

という日付を問う質問になる。

この「Nous sommes le combien」という表現は、煩わしいことに、

「Nous sommes combien ?」

とは訳が異なる。

定冠詞男性形「le」が、あるかないかの違いである、

「Nous sommes le combien ?」(今日何日なんだよ?)

「Nous sommes combien ?」(私たちって何人?)

定冠詞の有無で、だいぶ語釈が違う・・・。


春風駘蕩な日々も、度が行き過ぎれば、終身刑の如し。

どうでもよいようなことを考えずには、いられないということ、だ。


さて、さっそく無駄(かもしれないこと)とは思いたくはないが、考えてみるか。

先ほども書いたが

「Nous sommes le combien ?」

「Nous sommes combien ?」の違いは、定冠詞「le」の有無のみである。

逆に言えば、

「定冠詞」の有無で、これほど語釈に差異が生じるということは、定冠詞「le」には相当大きな意味があるからではないのだろうか?と考えた。

ここで

(多分ヴィトゲンシュタインの考えだったと思うが)言葉には「一般意味」と「企投的意味」があったことを使ってみようか。

「Nous sommes combine ?」は、一人称複数形「Nous」、動詞「être」の一人称複数形sommes、疑問視「combien」が組み合わさったもので、

「Nous sommes combien ?」(私たちって何人?)

という風に、ほぼ直訳に近い訳になる。(ま、それ以外に訳を知らないんだけど)

それとは対照的に

「Nous sommes le combien 」は、「今日何日?」という風に、語の一般的な意味そのままではない。

むしろ意訳されているといっても過言ではない。


つまり、「le」がある方が、言葉の「企投性」とでもいいましょうか、その言葉の特殊性みたいなものを強めると考えることもできるんじゃなかろうか?と考え及ぶ。

そうだ。

そういえば、フランス語の中級文法を独学していた時に、

定冠詞について勉強していたページがあったはず・・・。


そう思い立ち。

今年勉強したとは思えないほど忘れてしまっていた文法を思い出そとしながら、ページを捲っていく。

あった。あった。


フランス語の定冠詞「le , la , les 」は

1、時空間に縛られていない

2、存在前提を有している(枠組みがある)

が特徴としてあるみたい。


これをかみ砕くと、時空間に縛られないほど明確かつ予想が容易で、且つ何かしらの前提を有していると考えられるに事象や考えやもの概念に「定冠詞」というものがある

ということだろうか。

先ほどの「Nous sommes le combien ?」(今日何日?)という表現は、

日常で頻繁に使うことが多い表現だと仮定すると、予想が容易という側面は納得がゆく。

そして、「Nous sommes le combien ?」が、「Nous sommes combien ?」とは異なり一般的な意味性が弱いのも、裏を返せば

その企投性・特殊性・不安定な意味があり、それらを支えてくれている「前提」があるということではないだろうか?

ではそれは

一体どのような前提かというと、その表現自体、そう「Nous sommes le combien ?」という表現が定句表現化し、一般意味を超えて、「今日何日?」という意図を持ってはっせられるだろうという予想の「前提」だと考える。

何か他の事柄もあるのかもしれないが、

その言葉自体が、その言葉の企投的意味(特殊な意味)を支える前提となっているとしたほうが、私には自然にように思われる・・・。


定冠詞に必要な存在前提は、この場合何か明確な知識や背景があることではなく、ただ使われていた内にそうなった、ということが前提となっているのだろう。


ここまで来ると

「Nous sommes le combien ?」

「Nous sommes combien ?」


の違いが分かった気がする。


ま、こんなもの思いこみに過ぎないかもだけれど。




今日も大学生は惟っている。



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