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観光が存在している"場所"

不図考えたこと。観光って、どこに存在しているんだろってこと。例えば、りんごって言えば、まな板の上とか、皿の上にある。臓器っていえば、体内にある。鉛筆は筆箱か、ペン立ての中にあるかもしれない。

でも、観光ってどこにあるのだろう。

観光って、どこに存在しているのだろう。それが分からなかった。疑問で仕方なくなった。

そもそも観光ってなんだろうって考えた。でも定義は腐るほど提唱されているから、どうしようかな。まぁいっちゃんわかやっすい(調べんのが楽)unwtoから持ってこよう。

Tourism is a social, cultural and economic phenomenon which entails the movement of people to countries or places outside their usual environment for personal or business/professional purposes. These people are called visitors (which may be either tourists or excursionists; residents or non-residents) and tourism has to do with their activities, some of which involve tourism expenditure.

まぁ色々定義があったり、研究の方法によって定義っていう曖昧なものは変わって来るからしょうがないんだけど、とりあえずこの記事の中では、この定義を軸において話をすすめるよ。

unwtoから引用させてもらった定義によれば、観光は超端的に言えば「現象」。(ね、めちゃ端的でしょ。)

もう少し付け加えれば、「移動を主に含意する現象」ってことかな。じゃあ、その「移動を主に含意する現象」ってどこに存在するのかと言われれば、言ってしまえばどこにでも存在する。どこか特定に場所に特定されるものではなく、この地球全体が観光の舞台であることは、まぁ言を俟たないでしょう。というか地球というか、もはやオンラインでも、或いは宇宙でも観光というものがあり得るから、本当に場所には縛られないとは思うんだけども。

じゃあ、観光っていうのが、地球全体のあらゆる場所に存在しているのかって話し。というか、そもそも「存在」って何? っていう少々哲学チックな話しが絡んできてしまう。

だから、この「存在」という言葉の解釈によっては、観光は存在していることにもなるかもしれないし、そうでないことにもなるかもしれない。

まずは、より客観的(ある意味では間主観的)な意味での、実物として、まさにそこにあるという意味での「存在」するという見方で考えてみよう。

しかしこうなると、「観光」というものは、おにぎり🍙の様な「モノ」ではないことから、存在しないことになるのではないか。(おにぎりが来し方行く末存在するという訳でもないけどね)でも、観光業なり、観光客なり、観光協会なり、観光学なり、「観光」に関わるようなものはあるっちゃある。それが研究や商売の手段や対象としている者は、「存在」しないということになるが、本当なのだろうか。

そこで、「存在」という言葉を、「物事が何にも依存しないような形で、自律自存している」という意味ではなく、あくまで仮に「人間の知覚によって認識されることによって、そこに在るように見える」としてみよう。するとどうだろう。途端に「観光」は「存在」するようになるのではないか。

特に意味もイメージもない土地が、「観光地」という記号や、土産や特産やフォトスポットがある場所というイメージを与えられることによって、何もない場所が、「観光地」となる。

観光とは、あくまでも人間の身体から生み出される知覚によってしか捉えられないものではないだろうか。いやというか、「観光」だけに留まらない。観光だけではなく、人間の知覚するものが、まさに「存在」できるのであって、物事が自律自存して存在するのではないのろう。

「観光」は「モノ」ではない。観光客、インフラストラクチャー、ホスト側の人間、貨幣、宣伝、マスメディア、sns、道などなど、あまりにも多くの要素が絡まって成り立つもの。すべてを書き出すことは難しい。

となれば、「観光」が「存在」する場所は、あくまで人間の知覚の中ではないだろうか。つまり存在してはいるが、存在していないともいえる。あくまで「観光」は、人間が、ゲシュタルト的な現象として描き出しているものであって、物理的に存在しているわけではないのではなかろうか?

言ってしまえば、一種の「演劇」に近い空間のようなもの。観光地そのものでもなく、そこに人が集まるなり、店が出るなり、資本主義に占領されるやり、様々な要素の相互交流によって成り立つ、非常に一時的で、脆く、その維持に大変な労力を要すものではないだろうか。

観光が存在する"場所"。それは間違いを恐れずに言えば、人間そのものであり、ある意味で非常に自己準拠的なもの。観光が存在しない場所があるからこそ、観光が存在する場所があるのだと思う。そうでないと、何が観光かが分からなくなりそうだけん。

観光は存在するが、しかし同時に存在してはいない。これが当分の、ワタシにとっての観光の在り方の一つだね。

ところであなたは、観光が存在するのは何処だとお思いで?



今日も大学生は惟っている



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引用文献

UNWTO.GLOSSARY OF TOURISM TERMS.https://www.unwto.org/glossary-tourism-terms#:~:text=Tourism%20is%20a%20social%2C%20cultural,personal%20or%20business%2Fprofessional%20purposes.(2020/11/28アクセス)

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