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もしかしたら、哲学が嫌いなのかもしれない

自殺をしようと思って、自殺のための山を探していたら、山登りが趣味になっていた。

ネズミが嫌いだけど、嫌いなネズミのことに関して、何故か物知りになっていた。

ある物事へ熱中してしまう理由は、なにも「好きだから」という理由だけには限られない。嫌いで嫌いで仕方がないが、何故かそれについてたくさんのことを知っていたというように、「嫌いだから」という理由も、熱中するエンジンなるのかもしれない。

哲学に、熱中している。でも、特段好きとかではないと言った方がいいのかもしれない。大学で講義を受けて、なんとなく興味が湧いて、なんとなく始めてみたら、なんとなく性にあったというだけなのかもしれない。

なにより、哲学を学んで、絶望すること、虚無に殺されそうになること、無意味に駆られることがほとんどだ。毎日、そうかもしれない。「好きですよ。」と積極的に口にすることは出来ないし、オススメしたりもしないだろう。

なら、なぜ続けるのだろう。それはきっと、哲学が嫌いだからかもしれない。嫌いで嫌いで仕方がないのかもしれない。けど、自分にはなぜだか、性に合っているなと、どうしてもやめられないのだとも感じていた。

好きだな。とは思わない。大学で毎回図書館で本を借りる度に感じるのは、スキだか、キライだか分からない言いようもない気持ち。でも、哲学の本を借りて、哲学、いや「考える」ことを辞められない。

嫌いだなぁw

そうおもって、その哲学をなぜか辞めようとは思わない。むしろ、辞めてなるものかとさえ考えている。

ところで、何故こんなことを書いたのだろう。それはおそらく、好き=長く続けるという常識をぶち壊したかったからかもしれない



今日も大学生は惟っている。


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