本は暖かくなくなる。


本はどんな快速帆船よりも速く

わたしたちを遠くへ

連れて行ってくれる。

はつらつとした詩のページは

どんな馬にもおとらない。

本の旅はどんなに貧しい人も

ただで楽しめる。

この安上がりの馬車は

人の魂を乗せていってくれる。

エミリー・ディキンスン(1830-86)

『わたしの名前は「本」』

という本にあった、アメリカの詩人のものだ。


「本」はどんどん形を変えていく。

パピルスや羊皮紙、紙、そして電子媒体。

この安上がりの馬車が、より簡単に利用できるのはいいことだ。

しかし、電子媒体は「物理的な感触」が失われているようにも見える。

本を開く。ページをめくる。しおりをはさむ。付箋を貼る。字を書き込む。

電子媒体以前の「本」では、こうした「物理的な感触」が存在した。


それは、道中を「馬車」で、もしくは「歩いて」いくようなもので、道のごつごつした感じや、風の流れ、肌寒くなるような気温を感じることに似ている気がする。

そこで私たちは、自然との「繋がり」を見出す。本の世界観に自分が引きこまれるだけでなく、「本」そのものの存在を手にしっかりと感じるように。

しかし

電子媒体は、そういったものがない。

いわば、電子媒体は新幹線だ。

馬車よりも速いが、自分がどこをどう移動しているか分からない。

でも、自動的に目的地に到着する。

本の内容を楽しめることには変わりないが、「本」自体にかかわる要素が消えかかっている。

さて

あなたは、紙と電子媒体、どちらの方がお好みでしょうか。

今日も大学生は惟みる

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