見出し画像

夢を諦めさせてくれた人

先生へ

ご無沙汰しています。さとうです。
と言ってもおそらく、先生はもう、僕の事を覚えていないと思います。
最後にお会いしてから、もうすぐ10年が経とうとしています。

僕は約10年前、先生から脚本を学んでいました。
10年振りにこうして文章を書いているのは、理由があります。
どうしても、先生にお伝えたいしたい事があります。

1人に向けて書くんだよ。たった1人に

画像1

まず、その前に僕の事を思い出してもらわないといけませんね。
約10年前、プロの脚本家の方数名で脚本スクールを立ち上げた中に先生のお名前がありました。

脚本家を目指していた僕は当時流行っていたmixiで、そのスクールを見つけ、応募しました。当時は僕も20代前半。居酒屋でアルバイトをしながら高円寺の風呂なしアパートに住み、コンクールに応募する生活に行き詰まりを感じていました。
別の脚本のスクールに通っていたものの、打開策を探していた時期です。

そこで僕は先生と出会います。
脚本家スクールといっても期間限定。3期生は僕1人で、結局、僕が最後の期になっていました。実質、僕が最後の生徒になってしまったんですね。

初めて先生とお会いしたのは、雑居ビルに入っているオフィスの会議スペースでした。
最初の印象は少し怖かったのを記憶しています(笑)

当時の先生は30代前半。現役の脚本家さんで、ドラマや映画を手掛けていらっしゃいました。中肉中背で猫背気味。少し、先生はぶっきらぼうだったのを覚えています。当時、禁煙をはじめたばかりだったことも関係しているんでしょうか。

「君がさとう君?」
「は、はい。。」

先生と交わした最初の一言は何ともぎこちないものでした。
男2人でテーブルを囲み、企画書の書き方、キャラクターの作り方、構成、などの授業を一通り受け、先生は最後にこう聞きました。

「さとう君さ、この後空いてる?」
「あ、はい。今日はバイトもないですし」
「じゃあ、行こうか」
「はい?」
「いや、(授業)終わったし飲み行くしかないでしょ」

そこから授業が終わるたびに毎回飲みに行く習慣が出来ました。
授業は計4回でしたが、その後も個人的に飲みに誘ってもらい、僕が住んでいた高円寺や池袋、新宿で飲みました。その度に先生は赤い顔で色々教えてくれました。

「君はプライドが高いんだよな。面白いホン(脚本)書きたきゃ、フラれたほういいぞ。ちゃんと、傷ついて謙虚になって面白い作品を作れるようになるんだから」

「自分が器用じゃないの、認めたほういいぞ。全く刺さらん。八方美人で、誰も振り向かないホンになってる。そんなんだから彼女出来ないんだよ」

「1人に向けて書くんだよ。その1人に書けば、結果として多くの人に届く。みんなに向けて書いても誰にも届かないぞ。そんなのが出来るのはその種の才能を持つ天才だけだ。まあ、しっかりフラれるのが先だな」

なぜか、女の人が絡んだたとえ話が多かった記憶があります(笑)
当時の自分の生活は、昼にコンクール用の脚本を書き、夜は居酒屋のバイト、少しずつはじめていたライターの仕事もあったり、小忙しい時期でした。

そして、徐々にライターの仕事が増え始め、時々先生や脚本家を目指していた知人と飲みに行く。焦りと不安が根底にありつつも、のっぺりとしているようで、どこか気怠い日々を過ごしてしました。
でも、本当は気づいていました。この生活は長くは続かない、と。

君は自分が本当に面白いと思って書いているのか?

画像2

ある日、僕の脚本を読んだ先生はアドバイスも兼ね、おっしゃいました。ぶっきらぼうにしつつも、いつも冗談交じりだった先生の顔つきはいつもと違っていました。

「君は、自分が書いたものを面白いってホントに思ってる?」
「え、あ、、はい」
「君が書くものは、何か自分を守ろうとしている。ただ、そこをさらけ出さないと本当の意味でプロになれないぞ。表現は本来、恥ずかしくて、自分が凄く大事にしている柔らかい部分をさらけ出す行為になる。しかも、脚本は映画やドラマの土台になるか打ち合わせで色んな意見が出る。予算やキャストなどの条件で自分が作った脚本が簡単にひっくり返る」
「……」
「そこを踏まえて、恥をさらしてでも、きちんと世の中の誰かに届いて欲しいっていう祈りみたいなもんだと俺は思ってる」
「はい」
みんなに届けたいじゃ伝わらないんだよ。まずは、たった一人に向けて書くんだ。一人に届けようとするから、熱量が生まれ、結果として大勢に届く。顔の見えないみんなに振り回されるな。馬鹿にされたくない、人に嫌われたくないなんて思ってて、ホントに面白いホン書けると思ってるのか?」
「……」
「そもそも君は、自分の作ったものを信じてるのか?本当に脚本家になりたいと思って書いているのか?

この人には、一生敵わない

画像3

先生。僕は脚本家が書きたいわけでも、脚本家になりたいわけでもなく、本当は脚本家になった、と言いたかっただけなんです。

学校を途中で辞めてしまった自分は、一般的な就職する道を諦め、一発当てる系の仕事を探していました。映画や小説が好きだった自分が興味があったのが物語で、脚本家を目指しました。

ただ、根底にあったのは「他人を見返したい」という気持ちだけだったんです。
それまでの数年も「見せかけの努力」でどうにかやってましたが、自分の限界も感じていました。そして、先生に出会います。
はじめて授業を受けた時から、ずっと思っていた事があります。

この人には、一生敵わない。

それまで出会った人たちとのアドバイスより、視点は多様で分析は深く、はじめての「本物の脚本家」を前に圧倒されました。

ただ、スキル以上に圧倒されたのは、作品に掛ける姿勢でした。自分は何度生まれ変わっても、先生に敵う気がしません。
先生は脚本の話になると目つきが変わります。どんな場所でも真剣さを帯び、毛穴からオーラが出ます。はっきりと自覚しました。
不器用ですが、熱く、自分の仕事に愛情と信念を持ち合わせている大人に見えました。

そして、僕が致命的だったのは「人を楽しませようとして書いてる」というよりも「自分が周囲を見返すための手段として書いている」みっともなさでした。

脚本家を諦めよう。

はっきりと、そう思いました。

多分、先生も本当は気づいていたんじゃないでしょうか。「最初は劣等感がスタートでもいい」と言ってくれた記憶があります。

そして、僕は脚本家を諦める事にします。
しばらく経ってから、先生にそう告げると、少し寂しそうな顔をしてくれましたね。最後に下北沢で飲んだ時にも

「次、何するか決めてるのか?」
「いえ、何も決めてません」
「才能、なくはないぞ」
「ありがとうございます。でも、もう決めたんです」
「そうか」

以降、先生とお会いする機会はありませんでした。
あれから、10年が経ち、僕は先生にどうしても伝えたい事があります。

先生。僕は、あなたに感謝しています。

夢を諦めさせてくれて、ありがとうございます

画像4

僕は、自分がなれないだろうな、と思っていた会社員になりました。
社会人をしながら、通信制の大学にも通い、卒業もしました。
現在は、会社でマーケティングや編集、文章を書く仕事もしています。そして、偶然ですが僕の仕事の領域では、最近ストーリーテリング、物語が重要と言われています。
どうやら、あの時の経験は無駄じゃなかったようです。

ただ、僕が最も先生から学んだのは仕事の「背骨」です

・自分の仕事に信念と愛情を持つ事
・想像力と誠実さを持つ事
・自分の仕事を信じる事

僕は先生から多くを学ばせてもらいました。今の会社では「不器用で熱い」と言われます。先生に似たのかもしれません。

「男にそんな事言われても嬉しくないわ。そんなんだったら酒でもおごれよ」

ぶっきらぼうに照れ隠しの笑顔でそう言って下さるかもしれませんね。

夢を諦める事は不幸ではなく、別の幸福に出会うきっかけに過ぎない。

そう思えたのは先生のおかげです。
先生。10年前に教えてもらった通り、この文章はたった1人。
先生に向けて書いています。

みんなに届けたい、じゃ伝わらないんだよ。まずは、たった1人に向けて書くんだ

当時、教えてもらった事を活かすには遅過ぎたでしょうか。先生の言葉から多くを学ばせていただきました。
僕も、もうあの時の先生の年齢になりつつあります。
いい加減、大人です。
そして、大人には大人の役割があります

僕は結局、脚本家にはなれませんでした。
ただ、僕は、別の人生に出会う事が出来ました。
仕事にしろ、プライベートにしろ、自分が文章を書くときは少しでも誰かの力になりたいと思っています。

傷ついたり、どうしようもなく追い詰められている人にとって、肩の力が少し抜けたり、大丈夫かもしれない、生きていく事はそんなに悪い事でもないかもしれない

そう思ってもらえるような文章が書ける人間になりたいです。

先生と会わなくなってしまってからも、先生が書いた脚本の作品をたまに見ていました。不器用で熱く、優しい人柄が滲み出る脚本が好きです。これからも素敵な作品を作り続けて下さい。

そして、僕と出会い、夢を諦めさせてくれて、本当にありがとうございました。心から感謝しています

さとうより

この記事が参加している募集

最後まで読んでいただきありがとうございました! いただいたサポートは今後のnoteに活かすために使いたいと思います。 他のクリエイターさんへの支援や、書籍の購入に使い優しい世界を広めて行きたいです。