コメント_2020-03-08_195837

bosyuで気付いた「入口」における看板の重要性

コンテンツの「満足度」は内容の質以上に「事前の期待値」が大きいと思っています。
事前情報として「何を伝えるのか?」期待のハードルをどこに設定するかは「入口」における看板が影響するんじゃないでしょうか。
自分はGCストーリーという看板の施工会社に勤務している事もあり、タイトル設定を看板に絡めてnoteを書きたいと思います。

とある部分を「工夫」して出したbosyu

先日noteを書いてみたい方向けに「noteに何を書くか一緒に考えるbosyu」を出しました。申し込んで下さる方が、真摯で素敵な方ばかりで楽しくお話させてもらっています。


※たかおさんは顔見知りだったので、会社の後輩みさきちも呼んでいます笑
ありがたい話で、感想もtweetしてもらえたりとやってよかったなあ、と思います。
楽しい時間を過ごしてますが、自分なりにbosyuは工夫しました。

タイトルを「アドバイス」ではなく「一緒に考えます」に設定

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作成したbosyuは「タイトル」を工夫しました。
お店に例えると「タイトル」は「看板」の役割を担います。つまり「ここは何のお店なのか?」を入口で示す必要があります。
アドバイスします」「教えます」ではなく「一緒に考えます」と記載。このタイトルに設定した理由があります。

①自分にnoteの専門性があるわけではない。自分より凄い方は多く、noteのテクニックを教えられる方はたくさんいる
②「答えは本人の中にある」と思っているため、双方向のコミュニケーションにしたかった

①ですが、自分はnoteを個人でも企業でも書いています。しかし「専門家です!」と言えるほどではありません。自分より凄い方はたくさんいます。「教えてもらいたい!」「アドバイスが欲しい!」と思う方は自分以外のもっと凄い人に相談した方がいいと思いました。

②は自分の考えですが、結局「答えは本人の中にある」と考えています。質問や対話を通して「気付き」がある時間になり、双方向のコミュニケーションが生まれる場にしたいな、と思っていました。

タイトルを変えて「アドバイス」にしてみると、どう見えるか?

「アドバイス」にするとどんな見え方になるか、画像で試してみました。

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このタイトルでbosyuを出した場合、申し込んだ方は「悩みや課題に対する解決策の提示」を期待します。
もちろん専門性がある場合は、こちらのメッセージングで何の問題もありません。申し込んだ方のお悩みに対して、明確に「答え」を提示出来るならむしろ、こうしたケースがいいと思います。

ただ、自分の場合は「対話を通した気づきの場」をイメージしていたため、こちらのタイトルにするとズレが発生します。
出している看板とお店の中身が異なってしまうんですよね。
イタリアンの看板を見て、お店の中に入ったら和食しか出てこないとガッカリすると思いました(笑)

自分のお店で喜んでくれそうな人は誰か?自分が誰の役に立てるか?を考える

もう一つの視点として、自分のお店に入って来て喜んでくれそうな人はどんな人か?を考えました。

役に立てそうな人
・noteを書いてみたいけどモヤモヤしている
・noteについて相談したいけど、周囲に相談相手がいない
・話しながら自分の考えを整理したい
・カジュアルに相談相手が欲しい

「カジュアルな相談相手」を求めていたり「自分の考えを話しながら整理したい」方にとって、自分は役立てそうだと思いました。

役に立てなさそうな人
・noteを使って稼ぐ方法を教えて欲しい
・バズの方法を教えて欲しい
・パワーを掛けてコンサルして欲しい

自分のお店では、役に立てなさそうな人も考えていました。
不要なアンハッピーを生まないためにも、タイトリングは大事だと思っています。

どこから「bosyu」を知るのか?お店を見つけるきっかけを考える

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何がきっかけでbosyuを知るのか?手前の部分も漠然と思い描いていました。考えていた仮説は下記です。

自分をTwitterでフォローしてもらっていて、タイムラインに流れて来て申し込んでくれるんじゃないか?
(おそらくnoteも以前から読んでもらっている)

bosyu自体がSNSと相性がいいサービスです。
あらかじめ自分の普段の発信を通して「人格」が伝わっているとしたら、時間が掛かる「対話形式」でも申し込んで下さる方はいるんじゃないかなあ、と思っていました。
出してみて、申し込み0だったらそれはそれで学びの機会として、受け止めるつもりでしたが、複数人の方より今回ご連絡をいただきました。

お店のオープン。来て欲しい人に来てもらえる

ありがたい事に多くの方にお会いさせてもらいました。共通していたのはnoteの事に限らず「物事を真摯に考えている方」ばかりでした。

自分でこのようなbosyuを出しておいてなんですが、申し込む側からすると「一緒に考える」ってちょっと面倒だとは思うんですよね(笑)
手っ取り早く答えを知りたい人からすると、まどろっこしいんじゃないでしょうか。
ただ、自分が来て欲しいなー、と思っている方は対話を通して「自分なりの答えを見つけようとされている方」を求めていたので、タイトルを工夫してよかったな、とは思っています。

当日の内容としても、自分が話す割合は3:7で主に聞き手になる事が多いです。
申し込まれた方から「普段、ここまで自分の事を話す機会がありませんでした。話しながら整理出来てよかったです」と言葉をいただきました。

お店を出た後のアフターサービス

相談後に「noteを書き終わったらDM、メンションを自分につけてもらえれば、読ませてもらいます」とお伝えしてます。
「自分が書いたnote」を誰かが読んでくれるって、書く励みになるんじゃないかな、と思ったからです。読んだnoteは感想と共にtweetする事が多く、楽しみにしています。

自分が出すお店の中身と看板に「ズレ」はないか?

今回は例をbosyuで書きましたが、記事やイベント告知にも同様の事が言えるんじゃないでしょうか。「釣り」と呼ばれてしまうタイトルは、看板とお店の中が一致してないんですよね。
「〇〇とは?」とタイトルが設定されているにも関わらず、答えが記事中になかったり、過剰に煽るタイトルだったり。
メニューを見てお店の中に入って、そのメニューが注文出来なかったら「裏切られた!」と思い、そのお店には行かなくなるんじゃないでしょうか。

・自分が出すお店の中身と看板に「ズレ」はないか?
・期待値をどこに設定するのか?

・自分たちのお店に来て喜んでくれそうな人はどんな人か?
・自分たちのお店に来ても喜んでもらえない人はどんな人か?

あたりを考えながら、タイトルを作るといいのかもしれません。

なぜnoteの相談をやってるのか?

お会いする方にnoteの相談をしている理由を聞かれることがあります。
それは、自分が多くの方にお世話になった事に加え、noteを書き続けた事で仕事もプライベートも大きく変化したからなんですよね

今までは先輩達の好意を受け取るだけでしたが、自分もgive出来る人間でありたいな、と思うようになりました。大きい事ではないんですけど、少しでも自分に出来る事があればな、と。

個人の内面と向き合う部分も大きいですし、創作の相談は知人にしづらいと思います。
何か書きたいけど、どうしたらいいか分からない、、
そんな方向けに自分が手助け出来る事があれば、嬉しいと思っています。人のお話を聞くの好きなので、自分も楽しいです。

世の中が大変なタイミングですし、ゆるやかに支え合ったりお互いを助け合って生きていければいいな、とか青臭いことを真面目に考えています。

noteの壁打ち相手、書く内容を一緒に考えたい、踏み出すきっかけが欲しいなど。もし「モヤモヤされている方」がいらっしゃればお気軽にお申込み下さい~。対話を通して一緒に考えさせてもらいます~。

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▼bosyuに申し込んで下さったゆりこさんのnote

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