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傷つきやすい、自己否定しやすい人の人間関係、自分の愛し方
今日は人との関わり方や人の愛し方、自分の愛し方について日々人を見て感じ取ったことを書いていこうと思う。自分とも一部重なることがあって、私はそこから抜け出せたんだけど、ほんとにやばかったな。抜け出せてよかった。と心から感じるので赤裸々に自分の感じたことを書こうと思った。
まず初めに私は愛の形が自分は丸だったら丸しか受け取れなかった時期がある。その時の自分は自己価値が低く自己肯定感もなく常に他人軸で人の顔色や反応を伺い、人から好かれようと生きていた時期だ。
今日は、まだ自分にあった愛情しか受け取れない、自分にとっての愛情の形が決まっていてそれ以外受け取ることが難しい人についてメッセージを送ろうかな。と思います。
自分の欲しい愛情が決まっているのは、人生においてほんとに幸福か?というとそうではないな〜と私は感じているからです。
私も自分自身が自己否定癖があった時、確かに人の意見に傷ついていたけれど、それはあくまでも自分が自分に対し、否定的であったため、否定と受け取りやすい傾向にありました。
でもそれがなんで否定と受け取りやすいかは、幼少期から認められる経験が少なく自尊心そのものが育たなかったためです。
自分も向き合う中で色々な愛情の形があることを知りました。厳しい意見だけれど、自分のためにアドバイスをくれる人。寄り添ってくれる人。見守ってくれる人。私は今まで、自分の気持ちを理解し共感してくれる人が好きでした。
でもそんな自分におかしさをずっと覚えていました。それにみんながくれる言葉ややみんなともっと深く繋がりたいという気持ちから、自分のマインドを変えたいな。と感じたんです。
自分のために言ってくれているのはわかるけど、どうしても否定に感じてしまうのって辛いですからね。
そこで気がついてことがあります。いい人間関係とは、似たような人の集まりではなく、全然違うタイプの人が仲良く理解し合いながら共存していること。
それこそ本当の理解であり、心が精神的に成熟してないとできないですから、すごく勉強になったし、私自身はそっちのが合っていました。
自分はどちらかといえば、人をよく理解したいというタイプであるが、過去の周りにいた人たちは『自分の傷には触れないで欲しい』『自分に合わせて欲しい』『自分のことを理解してほしい』人たちばかりだったんです。自己肯定感の低かった私は、常に相手の意見に流され辛い思いをする日々・・・。
自分は相手を理解しているけれど、相手は自分を理解してくれない。そんな気持ちでもいたんですよね。
確かに『自分の傷に触れないでほしい』ってのはすごくわかります。私もそうでしたし、でも私の場合は、それは自分で変えられる場所なのでは?と気がつくことができたからなんですよね。
ほんとの癒しって何かというと、おそらくですが、例えば傷つきやすいテーマやワード、相手の態度やネットの広告、電車の広告などなど・・・
それを見ても、そのことに反応しなくなる。自分がぶれないでいられる。ことが本当の癒しなんだなあと感じます。自分が癒されたつもりで、攻撃で身を守ろうとする人も多いですが、それは自分の可能性や生活の範囲、意識の範囲、行動の自由を狭め、豊かではなくなるんだなあと感じたので、これが多くの人に届けばいいなあと感じています。
傷ついた気持ちもわかるけど、相手や自分を許して、自分の許容範囲を広げた方が、自分自身が結果的に楽なんだよね。ってお話でした。
誰かの参考になれば嬉しいです。ではまた。
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