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人に弱みを見せられなかった

僕は完璧を求めすぎていた。全てを完璧にこなせる技量も持ち合わせていないのに。だから、目標が達成できない故に自己肯定感は無い。成功体験がないんだもの。

思えば幼少期から完璧じゃないといけないと思い込んでいたのかもしれないな。失敗はダメだと。だから人に弱みを見せられなかった。人に弱みを見せられないからこそ、深い友達も数多くいない。

失敗を見せた方が人と仲良くなれるとよく聞くけど、本当にその通りだと身にしみている。

今まで一人で抱え込んで生きてきたのかもしれない。最近ある本を読んでいてハッとさせられたフレーズがある。「自分以外の人を敵だと思い込んでいないか?」というものだ。意識していなかったのだけれど言われてみれば思い当たる節がある。今まで「弱みを見せない」ということを当たり前に貫いていたけど、この考えを改めさせられることが2つあった。

エピソード①

遡ること3月、就活がうまくいかず塞ぎ込んでいた。ありがたいことに親友から心配のメッセージが来ていたが、自分の弱みを見せまいと、返事ができなかった。返事したくなかった。

その2ヶ月後の5月、会いたいと思い、自分からその親友に連絡し、ご飯に行くことに。「就活が順調じゃなかったという弱みを見せたくなくて、自分一人で抱え込んでしまっていた」と正直に伝えたところ、その親友から言われたことは「もうそんな間柄じゃないでしょ。(相談してくれよ)」ということだった。

親友は深く考えずに発した言葉だったかもしれないけど、僕には深く刺さった。「弱みを見せていいんだ、相談していいんだ。」と

エピソード②

先日、地元の友達と会った時のこと。久しぶりに会ったので、お互いに近況報告をしあった。その時に僕は勇気を振り絞って「就活がうまくいかず1ヶ月ニートだった」ということをカミングアウトした。話した後、どんな反応がくるか怖かった。来たのは予想外の反応。「俺なんて4ヶ月ニートだった」と友達がぶっ込んできた。その友達の話し方は誇らしささえ感じさせるものだった。その時に思ったことは「失敗と思い込んでいることであっても意外と失敗じゃないんだな」と。周りは意外と気にしていないんだなと。

まとめ

社会人になった今、僕は自分のミスを隠さないように、なんなら、自分から伝えるようにしている。そんな中で感じたことは「意外と怒られないんだ」ということだ。

失敗したら怒られると勝手に思い込んでいたけど、周りの人は予想以上に優しい。怒られることを過度に恐れていた自分の存在に気がついた。社会人は失敗を非難し合うのではなく、みんなで助け合って仕事をしていくのだということをひしひしと感じている。

僕の考え方が完全に変わった瞬間だった。

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